旅猫by浦研プラス&欧研プラス

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オシムとハリル,ボスニアとサッカー(2015年,サラエボにて)

2015年4月,当時オーストリアに駐在していた私は,イースター休暇にボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを訪れた。休暇の旅先としてはメジャーではないが,大学時代のゼミで1990年代のボスニア紛争について学んだことがあり,是非一度訪れたいと思っていたのだ。
(メインの写真はサラエボ事件の現場となったラテン橋)

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ウィーンからは直行便がないため,フランクフルト経由でサラエボ空港に到着。予約していたレンタカーを借りようとしたのだが,久しぶりのマニュアル車に勘が戻らず,「これは事故りかねない」と空港の駐車場を出ることなく断念。技術の衰えを甘く見ていたせいで,いきなり予定変更を余儀なくされる。

気を取り直して市内に向かうタクシーに乗り込んだが,アジア人が珍しいのか,運転手が「どこから来たのか?」と聞いてきた。「今はオーストリアにいるが日本人だ」と答えたのだが,その次の彼の返しには驚いた。「おー,日本,こないだは5点も取って完勝だったね!」「前のオシムさんは言うまでもないけど,今回のハリルホジッチさんも良い選択をしたよ!」と,とても嬉しそうに話しだしたのだ。
(注:2015年3月12日,ヴァヒド・ハリルホジッチ氏が日本代表監督に就任。同3月31日,JALチャレンジカップでウズベキスタン代表と対戦し,5-1で勝利)

日本を離れて約2年,浦和レッズ以外の日本のサッカー事情に疎くなっていた私は咄嗟(とっさ)になんのことかわからなかったが,「お,おぉ,そうそう(汗)」と空返事を返している最中に,つい最近代表監督が変わったこと,その新監督がボスニア出身だったことを思い出した。まさかサラエボの地で,タクシーの運転手からサッカー日本代表の最新情報を教えてもらうとは夢にも思わなかったが,思いがけないサッカーを通じた繋がりにあたたかい気持ちになった。

ホテルに到着してからは,まずは交通手段も含めた旅程の確認。その後観光に繰り出すべくフロントでもらった地図を手に取ると,何気なく週末のイベント情報が目に入った。なんと明日,首都のサッカークラブ,FKサラエボ(Fudbalski klub Sarajevo)の試合があるではないか!タクシーでのやりとりからボスニアという地のサッカーに俄然興味が出てきていたので,迷わずに参戦を決定した。

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少し調べてみると,ボスニアの国内サッカーは,紛争の影響で長らく民族ごとに協会やリーグが分裂し,2011年にはFIFAやUEFAから資格停止処分も受けていたらしい。しかし,正常化委員会をリードしたオシム氏の尽力によって協会とリーグを統一し,現在は国内トップリーグとしてプレミイェル・リーガ(PREMIJER LIGA BIH)がある。また2014年には独立後はじめてW杯出場を果たした。

FKサラエボは,そのプレミイェル・リーガに所属し,1984年のサラエボ五輪の開会式の舞台ともなったアシム・フェルハトヴィッチ・ハセ競技場(Olimpijski Stadion Koševo Asim Ferhatović Hase)を本拠地としている。スタジアムは中心部から徒歩だと30~40分かかるようだったが,折角なので歩いて向かうことにした。

市街地からスタジアムに向かってはゆるい上り坂が続く。試合日にスタジアムへの道を歩いていると自然と気分が盛り上がるものだが,この道の途中で思いがけないものを目にする。ボスニア紛争で犠牲になった方々の墓地である。サッカーモードですっかり舞い上がっており,五輪会場の跡地が墓地になっているということが完全に頭から抜け落ちていたことから,突然の光景に何とも言えない複雑な気持ちにおそわれた。サポーターはどんな心持ちでこの道を歩くのだろうか。

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スタジアムにつき,当日券を買い求める。英語が通じないのでよくわからなかったが,席種はメインスタンドの真ん中とそれ以外の2種類で,どちらも自由席のよう。すすめられるがままに後者を購入。価格は約600円。バックスタンドで席に着くと,まだ少し早いのか観客はまばらだったが,スタジアムが広いこともあって試合終了までかなり閑散としていた。

ただ,スタジアムの雰囲気はあたたかった。ゴール裏はご多分にもれず終始声を出していたが,他のファン・サポーターはのんびりと試合を楽しんでおり,相手選手に対してもブーイングではなく茶化すような感じで,終始アットホームだった。

試合は4-0でホームのFKサラエボが快勝。下位チームが相手だったことを差し引いても,後ろからしっかり繋いで崩すテクニカルなサッカーで結構面白かった。選手は全く知らなかったが,帰ってから調べてみると,一番目立っていたと思った小柄なボランチの選手は,国内リーグに所属する唯一のボスニア代表選手だったようで,自分の目もあながち節穴ではないなと少し自信がついた。

ちなみに,このテクニカルなスタイルというのは下位チームである相手も同じで,もしかしたらボスニア・サッカーの根本にはそういうアイデンティティがあるのかもしれないなとも思った(実際どうかはわからないが)。大きい選手があまりいなかったこともあいまって,日本にも似ているのかなという印象をもってスタジアムを後にした。

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少し時間をさかのぼるが,試合前にはボスニア・ヘルツェゴビナ歴史博物館を訪れた。この博物館は,ボスニア紛争当時の市民の生活を紹介する展示などがあることから,今回の旅のメインの目的地の1つだったのだが,偶然その一角で,2014年のW杯初出場を記念したボスニアサッカー100年史の企画展が行われていた。

2014年ブラジルW杯時のユニフォームや写真もあれば,歴代トッププレイヤー50人というパネルもあり,そこにはオシムさんとハリルさんも登場していた。ボスニアサッカーの歴史の解説も含めて,小規模ながら興味深い展示を追っていくと,W杯に出場することがどれだけ大きな出来事かをあらためて感じられる。

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たった2日間の滞在だったが,あのタクシー中での会話がなければ,こんなに充実した,また記憶に残る旅にはならなかっただろう。もう2年以上も前の話であるが,車内でサッカーの話をしてくれた名もなき運転手には今でも感謝している。