【過去2週間で最も読まれた記事】【特別無料掲載】【浦研プラスインタビュー&ストーリー】平川忠亮ー16年目の旅路

2002年に筑波大学から浦和レッズに新卒で加入した。1979年生まれの代は『黄金世代』と称され、平川は静岡県の清水商業高校で小野伸二(札幌)、池端陽介(沖縄SV)らの同期とプレーしたが、仲間が高校卒業後にJリーグクラブからスカウトされてプロ入りしたのに対し、当時の彼は声が掛からずに大学へ進学。小野、高原直泰(清水東高→磐田)、稲本潤一(G大阪ユース→G大阪)、小笠原満男(大船渡高→鹿島)、遠藤保仁(鹿児島実業高→G大阪)らの同い年が華やかな舞台で活躍する中で、特に注目を浴びなかった彼は大学卒業後に浦和に拾われ、静かにプロの世界へ飛び込んだのだった。

2002年に大学を卒業して浦和に加入した当初は、プロで3年やれればいいかなと思っていた。それくらいプロは厳しい世界だと思っていたから。俺の浦和での同期は10人いて、彼らは俺のライバルでもあった。その中で年々、同期の数が少なくなっていくであろうとも思っていた」

平川の大卒同期は三上卓哉(駒澤大)、堀之内聖(東京学芸大)、坪井慶介(福岡大)、山根伸泉(国士舘大)。他に高卒では長谷部誠(藤枝東高/フランクフルト/ドイツ)、南祐三(西武台高)、徳重健太(国見高)、東海林彬(庄和高)、小林陽介(浦和ユース)がチームへ加わった。同期の中にはわずか1年でクラブとの契約が満了になる者もいて、彼は厳しい洗礼を目の当たりにしてきた。

「当時は(ハンス・)オフトがレッズの監督をしていて、新人でキャンプに参加できたのは俺とツボ(坪井慶介)のふたりだけだった。でも、それも紙一重だった。本当にワンチャンスで変わるんだよ。キャンプ前に練習試合が一回あって、新人は3本目と4本目、それとも4本目の1本だけだったかな? 駒場(浦和駒場スタジアム)でどこかのチームと試合をしたんです。俺はそこでオフトに評価されたんだと思う。でもツボはスタメン組で1、2本目に出ていたから、レッズに入る前から注目されていたんじゃないかな。その練習試合は、自分の中では良い感触があった。その試合で調子が悪かったらキャンプにも行けていなかっただろうから、本当に俺は運が良かった」

プロは何処で、どんなチャンスが訪れるか分からない。たった一回の機会をモノにできるかどうかで、人生の分かれ目を迎えることもある。

「当時の俺はどんな意識をしていたかな? とにかくチャレンジするしか無かったし、全力を出そうと思ったけど、それは皆も同じ気持ちだったと思う。頑張ろうと思っても、上手くいく保証なんてない。レッズに加入するくらいだから他の選手も当然実力はあっただろうし、タイミングさえ合えば評価を受けていたかもしれないね。それを運と呼ぶのは憚られるけど、プロサッカーの世界というのは、それだけシビアな場所なんだと思う」

現在は2017年。平川の同期の中には、すでに引退した選手もいる。

「俺の代は引退した選手のほうが多いんじゃないかな。三上、ホリ(堀之内)も現役を辞めた。他のクラブを見渡しても、Jリーグでプレーしている選手は少ない。ツボ(坪井/湘南)、羽生(直剛/千葉。筑波大で同期)、(小野)伸二、遠藤、小笠原、稲本、増川(隆洋/札幌)、曽ヶ端(準/鹿島)……。本当に数えるほどで、今もJリーグでプレーしているのは10数人くらいじゃないかな。でも、38歳という年齢を考えたら多い年代なのかもしれない」

 

 38歳を迎える今、平川自身はどれだけ現役に固執しているのだろう。

「プロでやり続けたい……、うーん、どうなんだろう? 正直、そんなにしがみつく感じではない。毎年悔いのないように全力でプレーしていて、クラブから『これでおしまいですよ』と言われたら気持ち良く終われると思うけど…。他のクラブに行ってサッカーをやりたいと思うかな? 実際は言われてみないと分からない。『今年でアウトです』と言われて、『悔しいな、もうちょっとやりたいな』と思うのか、それともスッキリした気持ちになれるのか。想像の中では、わりとさっぱり次のことにチャレンジしたいかなと思っているけどね。これは奥さんにも言っていることだけど、自分がどんな反応を起こすかによって、また他のチームでチャレンジしたいとなれば、家族にも付いてきてもらうしかない。でも、その時の俺は必ず家族に相談する。その上で、奥さんは俺が決めたことがすべてだからと理解してくれると信じてる。だから、相談じゃなくて報告になるのかな。奥さんは俺の決断に対して、『やりたいなら、やりな。行きたいなら、行こうよ』と言ってくれる人だと思うから」

プロサッカー人生の終焉が近づいていることを理解している。年齢と共に衰えていく身体、チーム内での立場の変化によるモチベーションの維持。様々な要因が折り重なりながら、彼はあくまでも自分らしく、それでも前を向いて進もうとしている。

「去年…、いや、一昨年くらいからかな。だいぶ試合出場が減って、たぶん一昨年は10 試合くらいしか出ていない。去年に至ってはベンチ入りのメンバーからも外れることが多くなって、ホーム戦は埼スタのスタンドで観て、アウェーゲームは自宅のテレビで家族と一緒に仲間のプレーを観ていた」

プロサッカー選手になってから、自宅で浦和の試合を観戦したのは、ケガで戦線を離脱している時以外では初めての経験だった。ピッチに立つ権利すら与えられずに仲間の勇姿を見守る。チームが遠征中の際はベンチ外メンバーだけで大原グラウンドに集まりトレーニングをし、自主メニューにも励まねばならない。

「俺は今まで恵まれていたから、チームから外れる環境に置かれることが無かった。でも残っている選手として、トレーニングには前向きに取り組もうと思った。ここでどれだけ情熱を絶やさずにプレーし続けられるか。それだけを考えていたんだよね。その上で、厳しい境遇に立たされた選手が出場機会を得て、アウェーの試合で活躍しているのをテレビで観ると刺激をもらえたし、そこにやり甲斐も感じていた。だから、トシ(高木俊幸)の活躍は本当に嬉しかったよ。昨シーズンの最初の頃、アイツはメンバーに入れなくて、もがいていた。それがシーズン途中に抜擢されて良いプレーをして、チームに貢献できたわけでしょ。もう、自分のことのように嬉しかったよ。『トシ、やったな!』って。その後も自分自身はメンバーに入れない試合が続いたけど、どこかでもう一回チャンスが来ると思いながら練習に取り組んでいた。実際に、それはあったしね。その時はサッカーをプレーし続けていて良かったなって。試合で勝つことでタイトルにも絡めたし、うん。だからこそ、引退するまで気力を保ち続ける姿勢は変わらないかな」

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