【無料公開】現役引退発表に寄せて/日々雑感−阿部勇樹『心からの感謝を』

©Takehiko Noguchi

充実感に満ちていた

 今シーズンの公式戦初戦、2021年2月27日のJリーグ第1節・FC東京戦の後にオンライン取材に臨んだ阿部勇樹は、自身のゴールで1-1のドローに終わった試合結果に満足していなかった。

「やはりチームが勝たないと良いスタートとは言えない部分はあります。コロナの関係もある中で、またこうやって開幕を迎えることができて、いろいろな方々の協力があってやらせていただいている中で、サポートしていただいている方々に勝利をプレゼントできればなという思いでいたので、残念ですね」

 一方で、この日の阿部は晴れ晴れとした表情を浮かべてもいた。彼が公の場でポジティブな感情を発露させるのは珍しい。自身ではなくクラブ、チームのことを第一義に捉える彼は、よほどのことがない限り自らの心情を吐露しない。

 そんな阿部が、この日はユーモアを交えながら記者の質問に答えていた。自身23シーズン目のJ1出場を果たしたことについて聞かれると、「僕、そんなにいました?(笑)」と返し、年齢にそぐわないフレッシュなプレーぶりから「今年で30歳を迎えるのでしたよね?」と問われると、「そうです、そうです。端数を切れば30なんですよ。四捨五入すると逆に行っちゃいますけどもね(笑)」と言って茶目っ気たっぷりに舌を出した。

 その態度は彼自身が抱いた充実感の証だったのだろう。リカルド・ロドリゲス監督を迎えて始動した新体制の中でチームキャプテンを任され、スターティングメンバーに名を連ねてチーム唯一の得点もマークしたフィールドプレーヤー最年長者は、「やっぱり、『サッカーって楽しいな』と思えた」という虚飾のない感慨と共に、その手応えを確かに携えていた。

 リーグ戦は第1節から第5節まで連続で先発出場。第3節の横浜FC戦で今季2ゴール目を挙げて健在ぶりを示し、第5節の北海道コンサドーレ札幌戦では右サイドバックを任されてそのユーティリティ性の高さを発揮した。しかし第6節の川崎フロンターレ戦で初めて先発を外れて途中出場に終わると、続くYBCルヴァンカップ・グループステージの柏レイソル戦で途中出場した後のリーグ戦4試合を欠場した。苛烈さを増すチーム内競争の中で、それでも阿部は第13節のベガルタ仙台戦で鮮やかな直接FKを決めて2-0の勝利に貢献した。しかし、その後はリーグ戦でもカップ戦でも徐々に出場機会が減り、8月9日のJリーグ第23節・札幌戦の88分から途中出場した以降はベンチ入りすることなく今に至っている。

©Takehiko Noguchi

 今シーズン中盤は怪我に悩まされて戦線離脱が続いていた事情もある。全体練習へ復帰したのはメディア向けに公開された11月9日のトレーニングからで、その間は長いリハビリ生活を強いられていた。シーズン序盤の爽快な心情から一転して、重くのしかかった現実。阿部は11月14日の引退会見で、自身に生じた心の揺れ動きをこう吐露している。

「今年始まった時点である程度、自分の年齢も考えて勝負の年、最後の年になるのではないかと考えていました。でも本来なら、もっと早く引退すべきだったと、振り返ったら思います。けれど、サッカーを通じていろいろな方と出会い、いろいろな仲間に支えられて選手寿命を伸ばさせていただいたと思っています。実際に40歳の誕生日(9月6日)を迎える前にはある程度決めて、9月の頭にはクラブの方には(引退の意向を)伝えさせていただきました。もちろん今でもサッカーをしたい思いはありますが、1年前のサッカーをしたい思いと、今とでは少しの変化と言いますか、差があるかなと思っていて、その差が、僕にとっては引退する合図なのかなと思って、考えて決断させていただきました」

 阿部の性格を思えば、身を切るような思いで重要な決断を下したのだと思う。会見でも語っているが、恩師であるイビチャ・オシム氏(前・ジェフユナイテッド市原・千葉、日本代表監督)から「遊ぶのは引退してからで十分。現役のときは、常にサッカーのことを考えろ」との教えを受け、彼はそれを忠実に守ってきた。一頃は全体練習がオフ日のときもクラブハウスに来て自主トレーニングを行い、疲労蓄積を憂慮したコーチ陣が本人に練習禁止を言い渡し、チームスタッフには『阿部がクラブハウスに来たら追い返せ』という指令を出していたほどだった。一心にサッカー道を突き詰めてきた選手が現役を辞する決断を下すまでの過程には、一言では言い表せない様々な感情が交錯していたに違いない。

【11月14日(日)19時「クラブからの重要なお知らせ」LIVE配信−阿部勇樹・引退会見】

次のページ

1 2 3
« 次の記事
前の記事 »