【無料掲載】日々雑感−ズラタン・リュビヤンキッチ『その献身に、心からの感謝を』

 

仲間と喜びを分かち合いたい

 またひとり、浦和のために全力を尽くしてくれた選手が去っていく。

心穏やかな人物。それが初めてズラタン・リュビヤンキッチというサッカー選手と接して抱いた印象だった。

 スロベニアの首都、リュブリャナ出身の彼の公用語はスロベニア語だが、日本では言葉を介せる者が少ないため、彼は周囲と英語でコミュニケーションを取っていた。その中で、彼が多用していたのが『improve』という言葉だった。意味は「改良する、改善する、進歩させる」。それは本人自身だけでなくチーム全体を指すこともあり、彼は常に真摯に向上心をたぎらせていた。

 試合に敗戦した後は一切表情を崩さずに反省の弁を述べるが、普段は柔和な笑顔を浮かべて質問に応えてくれる。『ズラ』が決勝点を挙げて試合に勝った時、その手柄を褒めると、彼は『いや、いや』と顔の前で手を振りながらこう言った。

「チーム全体、選手全員の努力のおかげさ」

 後に、彼にとってFWの責務は何なのかを聞いてみた。すると彼は、真剣な眼差しで自らの思いを吐露した。

「得点を決めるより前に、まずは相手からボールを奪わなければならない。その後に攻撃が組み立てられる。後方で相手とバトルを繰り広げて闘争心を露わにする選手が、前線の得点を取る役割の選手に高いモチベーションを与えてくれる。僕のようなFWは、『ボールは渡した。あとは任せる』と託してくれた仲間の思いを受け取って、それをゴールへと繋げるんだ」

 ズラは幼少の頃からチームスポーツが好きだったらしい。

「皆で何かを成し遂げる。仲間と結果を得る。それがサッカーの楽しさだと思う。個人競技に比べると、サッカーはひとりの時間が少ない。それはピッチ上でもそうだし、日々の練習、遠征時の移動などに関してもそう。その中で、例えば僕がゴールを決めた瞬間は全ての仲間と歓喜したい感情になる。それが僕にとってのサッカーの魅力なんだ。日々の生活の中で一体となった仲間と共に喜びを分かち合う。僕はできるだけ多くの仲間と喜びを分かち合いたい。もちろん、その仲間の中には『サポーター』も含まれているよ」

 ズラは生粋のFWではなかった。少年時代から20代前半にかけて、彼は全てのポジションでプレーした経験がある。

「GKでもプレーしたよ(笑)」

 中でも彼が気に入っていたのはサイドバックだった。スロベニアのクラブでプレーしていた時はチーム内で抜群に足が速く、ピッチを上下動して攻守に関与することに意義を感じていたという。だからこそ彼は、チーム全員の意思と感情を理解できる。ストライカーはとかく自己顕示欲が高いと称されるが、少なくともズラは違う。彼は皆の思いを背負い、チームのために得点を渇望するタイプのプレーヤーだ。

 彼の人格は幼少期に過ごした様々な人物たちとの触れ合いの中で育まれたのかもしれない。両親はボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身だが、1992年から1995年まで続いた内戦で多くの親類を失う悲しみに見舞われながら、幼かったズラを連れてスロベニアの首都リュブリャナへと移住した。両親は戦争について多くを語らず、ズラもその意を汲んで多くを求めなかった。両親は息子へのサポートを惜しまず、新たな地で、様々な人々と交流を図ることの尊さを説き続けた。

 ズラは言う。

「僕は今、クロアチア、ボスニア、セルビアなど、あらゆる人々と仲良く交流することができる。特別な対抗心など、僕の中には全くない。そして当時の戦争のことを深く捉えることも、あえてしない。起きてはならないこと。それ以上でもそれ以下でもなく、これからの未来には必要のないものだから」

 ズラの愛妻は彼が幼少時に生活を営んでいたマンションの同じ住人で幼馴染だ。健やかで穏やかなリュブリャナの街は、彼の人格を形成した原点の地でもある。

 2012年の夏にベルギー・ジュピラー・プロリーグのKAAヘントからJリーグの大宮アルディージャに移籍した直後、彼が自転車を駆って自宅から練習場へ通っていたことが話題になったことがある。その理由は単純で、スロベニアとベルギーの運転免許を日本のものへ切り替えるのに時間を要していたからだった。ならば、チームスタッフなどに車で送り迎えしてもらえばいいものを、彼はあえて、そうしなかった。

『スタッフにそんな苦労をさせたくないよ。彼らには彼らの本業があるわけだから、それに打ち込んでほしいと思ったんだ。でもね、日本の夏がこんなに暑いとは思ってもいなかった。自転車を漕いだら汗がダラダラと出てきて、練習前にぐったりしてしまったよ(笑)」

 2014年末まで過ごした大宮、そして『さいたま』のもう一方のクラブである浦和レッズへ移籍してからも、彼と人との関係性は変わらなかった。驚いたのは彼が、浦和に加入した直後にほぼ全ての選手の名前を、しかも愛称で呼んでいたことだ。

「マキ(槙野智章)」、「ヨースケ(柏木陽介)」、「モリ(森脇良太)」、「シュウ(西川周作」、「チュン(李忠成)」、「ウガ(宇賀神友弥)」、「ヒラサン(平川忠亮)」……。年長者をさん付けするところも彼らしい。そして彼は、海外から日本へ来て右も左も分からない外国人選手に対しても、精一杯の心配りでサポートしていたように思う。

 槙野からこんな話を聞いたことがある。

「(ブランコ)イリッチ(2016-2017初冬まで浦和に在籍)が浦和に来た時のズラはかなり気を遣っていて、鹿児島の指宿でキャンプを張った時のオフ日前にズラを焼き肉に誘ったら、『ブランコも連れて行っていい?』と聞くから『当然!』と答えたんだ。こっちも最初から誘おうと思ってたからね。ズラは一生懸命イリッチにお肉の部位を説明していたよ。なんだか、ズラも嬉しそうだったね」

 ズラのピッチ上でのプレーを思い起こすと、ほとばしるような闘志を宿しながらも、仲間に対する感謝の念を絶やさない仕草ばかりが浮かんでくる。

 彼は生粋の”ガンバ大阪キラー”で、2015シーズンは1st、2ndステージ共に得点して2試合2得点、そしてチャンピオンシップ準決勝では起死回生の同点ゴール。2016シーズンも2ndステージの対G大阪戦で1得点を挙げている。中でも想い出深いのは2015年5月2日のJリーグ1stステージ第9節のG大阪戦。宇賀神友弥の左クロスに反応してゴール前へ飛び込み決勝ボレーを叩き込んだズラは、祝福しに集まる仲間と抱擁を重ねながらもその歩みを止めず、指揮官のミハイロ・ペトロヴィッチとタッチをかわした後に、「ヘイ! ウガ! ウガ!」と言って、自らのゴールをお膳立てしてくれた殊勲者の頭を手で抱え込み、その労をねぎらったのだった。

”僕のようなFWは、『ボールは渡した。あとは任せる』と託してくれた仲間の思いを受け取って、それをゴールへと繋げるんだ”

 その信念を体現するような姿に感銘を受けた。彼はいつだって正直で、一途で、チームへの献身を貫く魂のプレーヤーだった。

 ズラが浦和の選手として戦ってくれたこと。その感謝の念は、いつまでも尽きません。

 あなたの未来が幸多からんことを、心から願っています。

 

 

 

 

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