【無料公開】この街ー第7回・特別編『@2017−2018 来年も、浦和の選手として』

皆様へ

 皆様にお伝えする機会が中々ないので、この場で発表させて頂きます。私、平川忠亮は、来年も浦和レッズの一員として、選手として、このチームでプレーをさせて頂きます。皆様、どうか来年以降も浦和レッズを、チームを支えて頂けると幸いです。

 ここからは今の私の心境を本連載『この街』の特別編として記させて頂きます。敬称、略称などは本連載の記述形態を踏襲することをお許しください。

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 もし現役を引退するんだったら、リーグ最終戦の試合後にスタジアムでスピーチしなきゃならなかった(笑)。それがなかったってことは来年もプレーするということだけど、ファン、サポーターの方々からしたら、去就に関するアナウンスがなければ、『どうなってるの?』って思うだろうね。 

 ここ数年は毎年シーズン終盤の時期に『もう終わりにしよう』と思ってきた。現役を引退して、指導者として新たなスタートを切ろうという気持ちもあった。でも今季、ミシャとの悲しい別れがあってから、その考えに変化が生まれた。オレは来季も、このチームの一員として、選手としてプレーすることを決めた。

 2017シーズンの今季は一選手として、チームの力になれないもどかしさがあった。裏方のように選手側の立場からチームを支えている部分はあったけど、オレ自身は試合に出ていなかったから、ピッチに立っている仲間たちに結果を託すしかなかったのが歯痒かった。選手たちには、間違いなく危機感があった。ミシャがいなくなったら大変になるという想像は容易にできたから。でも、それでも結果を果たせなかったことが悔しい。

 攻撃的にプレーし過ぎるという現象は、今に始まった話じゃない。今のチームはずっとそのスタイルで戦ってきて、去年は、そのアグレッシブな戦い方でリーグ最少失点を記録した。オレたちには素晴らしいサッカーをしていた自負があったんだ。だからこそ、今季は何が原因で突然崩れてしまったのか、それを見つけられれば改善はできたはずだった。でも結局誰も、それを見つけられなかった。

 7月29日のアウェーの(北海道コンサドーレ)札幌戦で敗戦した翌日。オレが大原の練習場に着いたときにはミシャがいなかったけど、普段から監督は練習時間ギリギリに来るから、そのときもいつもと同じような雰囲気だと思っていた。でも社長以下、クラブスタッフが皆スーツを着ているのが気になって、胸騒ぎがしてきた。試合翌日は必ず練習前にミーティングがあって、選手全員が部屋に揃ってからミシャが現れるのが慣例だったから、そのときもそうやって待っていたけど、ミシャが現れずに社長や強化本部長が部屋に入ってきたのを見て、すべてを察した。

 率直な思いとしては、悲しくて、悔しかった。特に当時の自分はまったくピッチに立てていなかったから、何の手助けもできずに辛かった。それでも、ミシャの次にチームの指揮を執るのは堀(孝史監督)さんしかいないと思っていたから、堀さんが後を引き継いでくれて本当にありがたかった。堀さんじゃなければ、今のチームは崩壊していたと思う。

 新たな体制で再スタートを切った後は純粋に練習から選手同士の競争が生まれて、オレだけじゃなく、良い選手が良いタイミングで起用される印象があった。ただ、それだけに、試合に出場した選手がどれだけのプレーをするかという責任も生まれた。その結果、ACLは10年ぶりにタイトルを獲得できたけど、Jリーグでは成績を上げられなかった。その点は来年以降の課題として、チーム全体で改善に取り組まなきゃならないと思っている。

 オレ自身、来季も選手として契約を更新したからには、より一層試合出場の準備をして、与えられたチャンスを生かして、如何に自らの力を発揮できるかを考えてプレーしたい。もちろん、年を経る毎に体力の衰えなどもあって、その準備期間が長くなっていて、今まで以上に精進しなきゃならないけど、それが自らに課せられた使命だと思って目標に向かって邁進するつもりでいる。

 一方で、堀さん、天野さん(賢一コーチ)、ノブさん(池田伸康コーチ)、(土田)尚史さん(GKコーチ)を中心にチームをまとめる中、それを下支えする形でオレが補わなくてはならない部分もあると思っている。選手側から、ほつれそうな糸を結び直す。今まで16年間、このレッズで戦ってきて、チームを結びつける団結という名の糸が切れてバラバラになりそうになったことは何度もある。いつだって危機はやってきて、その集合体が崩壊する可能性を孕(はら)んでいる。でも、そんな厳しい局面を乗り越える尽力は監督やコーチだけがするものじゃない。同じ集団の一員である選手ももちろん、その努力を惜しんではならないんだ。

 堀さんは自ら引っ張っていくというよりも、皆を静かに支えるタイプだと思っている。だからオレは、堀さんが求めるならばなんでもしようと思っている。堀さんは選手たちのことを観察している。それを感じられずに「なんでオレを起用してくれないんだ」と思う選手がいたら、オレから監督の意図を伝えていく。『監督は、お前のことをちゃんと見ているよ』と。年齢を重ねてそれなりの経験を積み上げたオレのような選手が悩んでいる選手たちにアドバイスして、それがチームの力として還元されたら、こんなに嬉しいことはない。

 でも、一方で、オレはこんなことも思っている。

 今年の6月、オフを利用して沖縄に行ったとき、今は沖縄で暮らしているヨースケ(池端陽介)に言われた言葉が脳裏に焼き付いている。同級生のアイツは、オレに向かってこう言ったんだ。

「たとえ38歳でも、ヒラはレッズのレギュラーとして闘い続けてほしい。オレ自身は、今のヒラにはその力があると思っている」と。

 叱咤のようなヨースケの言葉を聞いたとき、オレ自身も忘れていた熱い気持ちが蘇ってきた。選手としてもっと、もっと、がむしゃらに噛み付かなきゃならない部分もあるよなって。アイツの一言は、今のオレに、再びピッチで戦う闘志をたぎらせてくれた。

 初めて出会ったときから、ヨースケはオレに対して自然体だった。強い風が吹いたり、激しい雷雨に晒されたり、逆に太陽の光が燦々と降り注いでいるときでも、アイツはなにも変わらない。いつだって同じ表情で、同じ態度で、同じ感情でオレに接してくれる。そんな彼の正直な心に触れたとき、オレは浦和レッズの一戦力として戦う覚悟を、もう一度備えられたような気がしたんだ。

 来季も試合に出場して、チームの勝利に貢献したい。その心が無くなったら、オレは潔く現役を引退しようと思う。来年もあのピッチの上で戦うと決めたからには、それ相応の心持ちで新シーズンに挑む。

 オレは浦和レッズに所属するプロサッカー選手だ。その任務を重く受け止めながら、オレはその責任を必ず果たしたいと思う。

2017年12月27日。浦和レッズダイヤモンズ 平川忠亮

(※編集部注:本原稿は浦和レッズ広報部のチェックの下、本サイトへの掲載をご承諾頂きました)

 

■『この街』ー主な登場人物■

”オレ”ー平川忠亮。1979年生まれ。静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。2002年に大学を卒業してJリーグクラブへ加入したプロサッカー選手。主なポジションは左右のサイドアタッカー、サイドバック。

”ヨースケ”ー池端陽介。1979年生まれ。静岡県浜松市出身。プロサッカー選手。”オレ”の高校時代の同級生にして親友。高校卒業後の1998年にJリーグクラブへ加入するも、その後は様々なチームでプレーする。主なポジションはセンターバック。

”ミシャ”ーミハイロ・ペトロヴィッチ。2012シーズンから2017シーズン途中まで、J1リーグに所属する浦和レッズの監督を務めた指導者。セルビア生まれ。現オーストリア国籍。旧ユーゴスラヴィアの首都ベオグラード近郊のロズニツァ出身。現役時代は母国の名門レッドスターなどで活躍。指導者転身後はシュトルム・グラーツ、サンフレッチェ広島、そして浦和の監督を務め、来季は北海道コンサドーレ札幌の指揮官に就任する。

”堀さん”-堀孝史。浦和レッズユース監督などを歴任し、2012シーズンからペトロヴィッチ監督の下でトップチームのヘッドコーチを務めた。2017シーズン途中、浦和がペトロヴィッチ監督との契約を解除したことで後任監督に就任。シーズン途中でチームを率い、クラブ史上2007シーズン以来10年ぶりとなるAFCアジア・チャンピオンズリーグ制覇を果たした。

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