無料記事:短期集中連載『鹿児島おいどん日記』第1回・指宿キャンプ初取材の思い出(おいどんとは薩摩弁で『わたくし』の意味です。つまり、ただの日記です)(20162/2)

初の指宿キャンプの思い出

浦和レッズの鹿児島指宿キャンプ、始まりました。浦和が指宿でキャンプを張るのは8年連続となります。浦和は2000年代にオーストラリアなどの海外でキャンプを張ることもありましたが、それ以前にも指宿でキャンプを張った経験がありますから、浦和にとって指宿は非常に縁が深い土地です。

僕が初めて指宿に訪れたのは2002年初頭のことでした。当時の僕は前年の夏にサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』誌の記者となり、翌年に初めてJリーグのキャンプを取材することになったのです。浦和担当の僕は、編集長から「第二次キャンプの鹿児島指宿に行って、監督と選手のインタビューを取ってこい!」と厳命され、厳かな面持ちで現地へ向かったものでした。

鹿児島空港に降り立ち、百戦錬磨の先輩カメラマンに「宿はどの辺ですかね?」とお聞きすると、「馬鹿! これから車で2時間くらい掛かるんだよ!」と言われて、驚愕したのを覚えています。空港から2時間も掛かる場所にある南国の湯治場。うーん、未知の世界です。

鹿児島県中心部の鹿児島空港から指宿へ向かう道中では、あの桜島が雄大な姿を見せてくれました。

「◯◯さん(先輩カメラマンのことです)、桜島、噴火してません? 黙々と煙が上がってますよ。大丈夫なんですか、ねぇ、ねぇ」としつこく迫る僕に、先輩の蔑むような視線が突き刺さります。

「桜島は年中噴火してんだよ。うろたえんじゃねぇ」

九州の海岸線は勇壮で広大で見事です。大きなカーブを描いた海岸線の道路は遥か10キロ先まで見通せるほどで、遠くに見える指宿の町には椰子の木が生い茂っています。

『おぉ、ここは本当の南国だぁ』。

でも、実際の指宿は想像以上に寒いです。冬場は最高気温が一桁になることも多く、夜になると2度くらいまで冷え込むので、Tシャツ一枚で出掛けようとした僕を事前に先輩が叱責したくらいです。危なかった……。

指宿に近づくと、道路の隙間から何やら煙が上がっています。

「◯◯さん、家から煙が上がってます。火事ですかね?」

先輩はまたしても、僕を軽蔑するような眼差しを送ります。

「指宿は温泉の町なの。煙は年中上がってんの。お前が心配しなくても、現地の人は逞し
く生きてんの」

失念しておりました。指宿は砂風呂が有名だったんです。『遠くまで見渡せる海岸線の砂場に埋もれて湯治三昧。天国のような時間だろうなぁ。楽しみだなぁ』と遠くを見つめていると、先輩から非情なお言葉が。

「今回はタイトなスケジュールだから、砂風呂に入ってる時間なんて無いから」

オフト監督、福田さんのインタビュー

自身初のJリーグキャンプ取材。実は僕、こんな悠長なことを言っている場合ではなかったのです。僕に課せられていた使命はインタビュー2本。ひとつは当時の浦和の指揮官だったハンス・オフト監督へのインタビューでした。オフト監督は1994年のアメリカワールドカップを目指した日本代表を指揮した方で、アジア最終予選のカタール・ドーハでイラク代表に同点ゴールを決められて本大会への出場権を逃した『ドーハの悲劇』でも有名な方ですよね。ただ、このオフト監督は一癖も二癖もある曲者との評判で、インタビューは非常に難儀するということで有名でした。うむ、新人の僕がそんな大任を果たせるのでしょうか。

そしてもう一本のインタビューは『ミスターレッズ』、福田正博選手のインタビューでした。当時の福田さんはチーム最年長で、世代交代の流れの中で自身の存在価値を見出すために苦悩している時期でした。僕のような新人がインタビューして福田さんに怒鳴られないだろうか。確か去年のJリーグのミックスゾーンでは質問する僕に対して福田さんが一瞥も送って下さらなかったような……。怖い、怖すぎる。1対1で話すなんて無理でしょう。壮大な敷地と景観を誇るキャンプ地、『指宿いわさきホテル』に降り立った瞬間、僕は何だか身震いしてしまいました。

最初はオフト監督のインタビュー。しかしオフト監督は僕の心情を察してくれたのか、非常にフレンドリーな態度で接してくれ、浦和が今克服すべきキーワードとして『基盤』という言葉を挙げました。当時の浦和は99年にJ2降格の憂き目に遭い、2000シーズンのJ2での戦いとJ1昇格を経て、2001シーズンは改革の年と銘打ちながら監督が途中交代するという、これまでの悪しき伝統を引き継いでしまっていた時期でもありました。そんなときに教育者のような佇まいを持つオフト監督が現れ、この指宿で浦和が劇的に変化していく様を目撃できたのでした。

一方、福田さんのインタビューは、最初は大変苦労しました。当時の福田さんは負傷中で別メニュー調整を強いられており、何だか不機嫌。ぶっきらぼうで、返事も二言、三言といったところで、「やっぱり怖い……」と尻込みしかけました。しかし新指揮官であるオフト監督の話題を振ると、福田さんが突然饒舌になって、如何に今の浦和にオフト監督が必要かを懇切丁寧に語り始めたのです。当時のことを現役引退後の福田さんと振り返ると、福田さんは懐かしそうに、こう語っていたことがあります。

「そうだったな。あの時はもう、すがるものが何もなくてさ。俺も浦和を出ようと思ってもいたから、そんなときに代表で俺を鍛えてくれたオフトが来てくれて、それだったら俺も、もう一度ここでチャレンジできるんじゃないかなって思ったんだよ」

しかし福田さん、肝心なことを間違っていました。

「お前と初めて1対1でインタビューしたのは2001年だよな? チッタの時。サッカーダイジェストの取材で。そうそう、指宿でな。そこでお前と初めて会ってな。あれはよく覚えてんだよ。それだけ印象深いインタビューだったってことだな」

福田さん、それ、僕じゃありません。それは僕の前任の浦和レッズ担当です。残念です、はい……。

と、言うわけで、鹿児島指宿は僕にとっても大変思い出深い町であり、今となっては大変愛着のある、特別な町でもありま
す。そこで次回からは指宿の名物料理、素晴らしい景観、そしてほっとする温泉などの様子をお伝えします!

(了)

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