【島崎英純】2011年シーズン・浦和レッズ総括・第5回 (2012/1/14)
急場をしのぐ形で堀孝史監督が就任
急場をしのぐ形で、ペトロヴィッチの後任としてクラブが指揮官に据えたのはアカデミー部門の浦和ユース監督を務めていた堀孝史だった。
堀は現役時代に浦和、湘南ベルマーレなどのJリーグクラブでプレーし、2001年の現役引退後は指導者として研鑽を積み、湘南、浦和のコーチを歴任した後に2007年から浦和ユース監督に就任した。そして2008年には現在トップチームの中軸を担いつつある山田直輝、高橋峻希、濱田水輝、原口元気らを擁して高円宮杯全日本ユースをクラブ史上初制覇して旋風を巻き起こす。その後も今日までユース監督を務め、育成部門で確固たる実績を築きあげつつあった新進気鋭の指揮官だった。
当初、浦和のクラブフロントはペトロヴィッチの後任を外部から招聘しようと画策していたが頓挫し、結局内部昇格の形で堀に白羽の矢を立てた事情がある。またクラブ内にはJリーグの指揮を執る条件であるS級ライセンス(日本サッカー協会が公認する指導者免許制度の最高位にあたる指導者資格)の保持者が限られていた。数少ない人材の中で、すぐにトップチーム監督に就任し、その手腕をふるえる可能性のある者に限定すると、実質的には堀以外に内部で適任者がいなかった。
しかし、結果的には堀がトップチームを率い、困難な状況の中で出来る限りの施策を練って残留争いを乗り切ったことで、浦和レッズは救われた。
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