【島崎英純/福田正博】今振り返る、ドーハの悲劇〔前編〕(2011/3/23)

島崎

「僕は当時会社員で、テレビでドーハの戦いを見ていました。本当にショックが大きかった出来事ですね」

福田

「日本の加熱度は、僕らには判らなかったんだよ。向こうにいるとね」

島崎

「確かに、94年アメリカワールドカップのアジア最終予選は、セントラル方式で一気に日程を消化する形でしたから。見ている側からしても、あのような緊迫した最終予選は、初めての経験でした。オフトさんが監督に就任して、どんどん代表が強くなり、サッカー熱が沸騰した時期でしたよね。アジアカップを獲り、ダイナスティ杯を制して、代表が見る見るうちに強くなっていきました」

福田

「ちょうど、日本サッカーの大きな過渡期の時に、必要とされていた人が監督をやったのだと思う。よく言われるけど、時代の中で求められるリーダー像ってあると思うんだけど、あの時の代表は、オフトを求めていたんだと思う。初めての外国人監督を招聘した訳だけれど、日本を良く理解している人だったし、オランダ人らしくサッカーに関する様々な事柄が整理されていて、優先順位もしっかりつけていた。何も難しいことをやらせるのではなく、必要なことに一つずつ優先順位をつけていく作業を行って、日本のサッカーが一度整理されたような印象がある。

(残り 3387文字/全文: 3907文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »