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【無料記事】グディニャの記憶…ささやかな幸せについて【FIFA U-20 ワールドカップポーランド2019】雑感 #daihyo #U20WC

●ささやかな幸せについて

今回はちょっとサッカーから離れたことを書きます。まず、写真をご覧ください。グディニャ中央駅の前にある彫像です。ちょっとこれを頭の片隅に置いておいてください。

日本がメキシコと試合をしたグディニャは、なかなかキレイな街です。海があって砂の美しいビーチもあります。近くのソポトやグダニスクも閑静で自然も近く、かといって辺鄙(へんぴ)でもなく、とても暮らしやすそうでした。

グディニャの海岸近くを散歩すると、犬を連れた人がたくさんいます。年をとって、犬と静かに暮らすにはもってこいの街かもしれません。日本もそうですが、ヨーロッパは犬を飼っている人を多く見掛けます。老後を愛犬とすごすのは、ささやかながら幸福感があり、ある意味理想かもしれません。人と犬の関係は古く、犬だけでなく人の方にも犬と暮らすための何かがDNAに組み込まれているという説もあるようです。

グディニャのスタジアムはとても簡素でした。フィールドを囲むコンクリートに座席を付けただけ。一応、全席屋根で覆われています。デザインも何もない、本当にシンプルな専用スタジアム。でも、それがいい。それだからいい。だって、見やすいんだもの。例えばサンチャゴ・ベルナベウはでかくて壮麗ですけど、フィールドの近さからいったらフクアリの方が圧倒的に見やすいわけで。グディニャは駅からも近い。サッカーが日常にある幸福という点で、街の中心から電車で5分、駅から歩いて10分というのも大きい。つつましいけれども、それだけに確かな幸福感を約束する環境がありました。

●グディニャの記憶

幸福感は人それぞれですが、たいがいの人にとっては穏やかな日常の、ささいなことこそが幸せで、言ってみればサンチャゴ・ベルナベウでなくてもいいわけです。犬と仲よく暮らすのが最上だったりするわけで。

ここで最初の彫像の話になります。

お母さんと兄妹とおぼしき3人が、旅支度で歩きだそうとしています。少し離れた後方に犬がいます。グディニャの人々は移住を強制されました。第2次大戦中、ドイツが街を占領するや即時の移住を求めたのだそうです。人々は突然、道に放り出された。だから犬を連れていけないんですね。女の子は犬の方を振り返っています。母親は硬い表情で娘の手を引きます。で、犬の表情がこれ。

犬は飼い主が大好きです。犬は家族。しかし、犬と暮らすささやかな幸せは脆(もろ)くも破壊され、その瞬間に犬はただの動物の扱いになりました。この彫像は、グディニャでかつて何があったかを記憶にとどめておく強烈なメッセージであるとともに、戦争の断面を鋭く切り取っていると思います。

犬と暮らすのがささやかな幸せと書きましたが、犬を飼うにはそれなりのコストがかかります。飼い主には、多少のお金と時間、お世話や躾(しつけ)をする気持ちの余裕が必要でしょう。そのささやかな幸せを支えるのが社会であり国家ですが、ささやかな幸せを維持するために戦争になってしまったのなら、こんなに皮肉なこともありません。

母親は事情が分かっています。ささやかな幸せをむしり取られた無念さ、それでも生きていくために犬を捨てなければならない決意がうかがえます。息子は犬を見ていません。母親の気持ちも、妹の気持ちも知りながら、重い荷物を持って歩きます。妹はたぶん事情がのみ込めていません。そして犬は何も分かっていない。どうして家族に置き去りにされるのか分からない。連れていってほしくて前のめりになっています。

ポーランドには、あのアウシュビッツもあります。ただ、日常のささやかな幸せの断絶を表したグディニャの彫像はさりげなく、それだけに心に刺さるものがありました。

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