「GELマガ」鹿島アントラーズ番記者・田中滋WEBマガジン

【コメント】トニーニョ・セレーゾ「あまり面白味のない、サッカーに関する判断力の足りないゲームだった」/明治安田生命J1リーグ1stステージ第7節 ヴィッセル神戸戦(2015.04.25)

■トニーニョ・セレーゾ監督(鹿島):

 

――2失点は悔やまれる失点だと思います。守備の評価をお願いします。

 失点はしている事実があり数字に表れています。しかし、その大半は組織的なミスというよりは個人のミスが多い。例えば、日本のクラブにおいて、継続的に同じミスを犯しているときに、すぐにそのポイントに補強できるかといえば日本のクラブはできません。いる人材で改善していくしか方法はありません。なおかつディフェンスライン、特に一番危ない中央の部分は若い選手なので、いろいろな駆け引きや勝負に対するこだわりというか哲学が薄いところはあります。それは時間を要するものであって、指導し続けないといけない。この日程のなかで、すぐにそこを改善できるかといったら難しく、話をしたり、画を見せたりということで育成していかなければなりません。手っ取り早い判断というのは、そこにそれ以上の選手を連れてくるということなのですが、日本の場合はそういう方針ではなく、クラブの経営というのはいる選手ちゃんと指導して、なおかつそれ一人前になるまでやるという方針なので、それに沿って敬意を持ってやっていかなければなりません。

 ただ、非常に鋭い質問だと思います。もっと細かい話を次回お答えできればと思っています。

 

――前半はなかなか良い場面がなかったと思います。相手の守備が堅かったのか、自分たちの攻撃に問題があったとお考えでしょうか?

 前半は、サッカーのゲームというよりもただボールを奪うためのバトルを両チームがやっていただけではないかな、と思います。それはあくまで僕の評価です。両チームとも、前でボールが収まるということはなかったですし、単純な取られ方が両チームにあったと思います。パスワークとかポゼッションというものは前半に関しては両チームとも存在しなかったと思います。後半になって、本当は僕らは3バックをやっているチームに対して、いつもやっている守備の仕方があるんですけど、それを前半からやると運動量が落ちてしまうとか、足が止まってしまうということが僕の中であったので、前半は抑えてブロックをつくって守備をして、後半から仕掛けるということが狙いでした。ただ、そのプランが崩れたところで、仕切り直して同点に追いつかなければならず、ギアをもう一度上げてもらったということがハーフタイムにありました。前の公式戦が特に非常に緊迫した試合であった、長距離移動があったということを考えれば、そういうゲームマネジメントをせざるを得ない部分があり、特にJリーグにおいては全チームが規律と運動量をあげてやっているので、それにあわせてやれば自分たちが苦しい状況になってしまう。そういったことも考えながらやったんですけど、それでもまだ後半の半分くらいからはいくつかのポジションでは足が止まってしまったり、プレーの精度が低かったり、ちょっとそういう部分が多すぎたと思います。

 どうしても判断力という部分に関しては疲労がたまっていくにつれて衰えていき、遅くなってしまうので、そういった部分がいくつかのポジションでは存在したかと思います。

 失点の場面なんかは、曽ヶ端選手は年間100回くらい試合に出てくる中で、ひとつうまくいかなかったところもありますし、CBも同じことです。そこにいる、そのゾーンでプレーしているからミスとも出くわすのであり、それもサッカーだと思います。正直、あまり見応えのある試合ではなかったかなと思います。取って取り返し、取って取り返しの、あまりおもしろみのない部分が多く、サッカーに関する判断力は足りなかったと思います。

 柴崎や土居であったり、その二人は鮮明な判断力や状況を読んでボールを扱っていたのですが、それ以外は一人でその選手自身がボールと葛藤していたと思います。

 

 

――後半37分くらいに、ボールがゴールラインを越えたように見えましたがゴールになりませんでした。それについてコメントはありますか?

 得点が入ったか入ってないかを判断できるのはレフリーです。Jリーグにおいては、毎回見えてなかった、ということしか言われないので、僕がああだこうだ言っても変わりはないですし、僕の位置からは入ったか入ってないかは正直に言って見えない位置にいましたし、じゃあ一番近い位置で見えるのはラインズマンしかいないので、そこで見えないと言われたら、GKがボールが入っても見えなかったと言ってるようなものなので、それは指導する立場の人がしかるべき指導をしてくれるのではないかと思います。クラブとしてはもし入っていたのであれば、勝点2を失ったわけなので、勝点1にするのと0にするのとでは全く違います。そこはしかるべき人がやってくれると思います。ただ、僕が一番がっかりしているのは自分たちのチームに対してです。もし入っているのであれば、全員が喜ばないといけない。喜ぶことによって見えてなかったレフリーが。ああゴールなんだ、と判断するかもしれない。もっと情熱的に、熱く、試合をやってほしい。生きる、ということ。水曜日に試合がある、土曜日に試合がある、とただサッカーをやりにきてるだけ、勝つためにやるのではなく、ただ日程が決まってるからやらなくちゃいけないんだという軽い気持ちでやってると、試合でも本当に得点が入ったときに喜ばないし、喜んだとしても日本語で言うと「やった~」くらいで「よっしゃー!」というのとでは全然違う。こなしているのと本当にハートから全身全霊プレーに賭けているのとでは自分の喜びも悔しさもぜんぜん違う。そういった部分がまだチームとしての未熟さというのがある。それを早急に変えていかなければいけないと思っています。

 

 サッカーをやる上でピッチのなかではいろんな駆け引きがあります。相手はボールの球際に対して、タイトに、厳しく正当に競りに行った場面もあれば、そうではなく後ろからのファウルで止めた場面もありました。要は、プレーを切る、止めるという作業をやっていたわけですが、それはゲームのなかであるものです。ただ、そのなかでも悪質なものに関しては、うちの選手は誰一人文句を言わない、アピールをしない。それをやったから試合を勝てると言っているわけではなくて、いろんな駆け引きがあって、これはあっているとか間違っていると認識してもらう。要するにレフリーも人間なので、ミスをしたり正しかったりということがある。その話し合いを持ちながらやることが重要です。それはうちだけではなくて、日本の全クラブに言えることです。なにも言わない、おとなしい、というところがある。レフリーがミスをしてもそのまま流していくし、監督やベンチがちょっとアピールをしてファウルじゃないのか、と訴えるくらいで、あとはなにも言わない。見て見ぬふりをしてゲームだけを見てくれればいいということを言われます。しかし、それはなんの向上や成長に繋がっていかないし、やはり議論すべきところは表に出してやったほうがおそらく生産性も能力もあがっていく。そういった部分を現場としかるべき部署の人たちがうまく力を合わせて、向上していかなければいけないと思っています。

 

 

 

 

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