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(再掲載)【頼コラム】ある引退〜廣瀬智靖の決意

「セカンドキャリアを考えた時、大好きな洋服のことしか浮かびませんでした。サッカーの指導者という考えは全くなかった。自分は感覚的な選手で、感じたままにプレーしていたから、人に教えられるはずはないなと(笑)。じゃあ何をするかと考えたら、僕には洋服しかない、絶対に洋服の道で食っていこうと。他の仕事で食っていくイメージは全く湧きませんでした」

ここでサッカー人生に区切りをつけ、次の道へ進もう。そう決めた。シーズンを終え、監督の小林伸二にも引退の意思を伝えた。山形で4年、徳島で2年、廣瀬はプロ生活のほとんどを小林のもとでプレーしている。新人の時から育ててくれた、いわば“もう一人のお父さん”のような存在だ。「お前、悔いはないのか?」と聞かれたが「はい、ないです」と、迷いなく言えた。小林は「そっか」とつぶやくように言った後、「これからは一人の人間として、別に何か節目の時じゃなくてもいいから、連絡して来いよ」と声をかけてくれたそうだ。

さて、引退を公式に発表する前に、廣瀬には会わなければならない仲間がいた。山田拓巳と太田徹郎である。高卒同期の3人組は、太田が2013年に移籍するまでの5年間を山形で共に過ごした。新人の頃から苦楽を共にし、競い合い、三人が別々のクラブに分かれてからも刺激し合ってきた。だから一番最初に報告したかったという。昨年12月、山田がオフになって帰省するのを待ち「大事な話があるから時間を作って欲しい」と召集をかけた。太田はまだ天皇杯を戦うオンシーズン中で、合間を縫っての短い時間、三人は顔をそろえた。

「あいつらには自分の口から言いたかった。特別な二人ですから」

太田は純粋に驚き、山田は「そういうことかなと思っていた」という反応だった。その時のことを、山田はこう振り返る。
「移籍レベルの話ならいつも電話で話すので、時間を設けてほしいと言われた瞬間に、もしかしたらと」。
早すぎるように見える同期の引退に、ショックはなかったのか。

「もちろんショックですけどね。お互い、チームが替わっても刺激し合いながらやってきたので。でもまあ、ヒロらしいと思ったし、サッカー人生に納得がいった、やりきったと言っていたから。次に進むことを自分で決断したと思うので、そこに関しては全然、です」

そして山田はこう付け加えた。

「この三人は、職業が替わっても、それでも、続いていく仲だなって思う。これからも絶対、刺激し合っていけるだろうし、自分は間違いなく、あの二人には負けたくないという気持ちで今までやってきている。これからもそういういい関係は絶対続けていきたいなと思います」

山田と太田は廣瀬にとって間違いなく、プロ生活で得た財産の一つだろう。
高校を卒業してからプロサッカー選手として過ごした8年の日々はどのようなものだったのか。そう尋ねると、得難い経験をして、人としても選手としても成長できた、と言った後、あふれてきたのはプロとしての第一歩を踏み出した地、山形への思いだった。

「初めて山形に行った時は雪ばかりで、こんな所で暮らしていけるのかなと思いました(笑)。でもプロ生活を通して、僕は本当に山形という地が好きになった。食べ物はすごく美味しいし、温泉もいい。でも何より人がいいんです。そこがナンバーワン。めちゃくちゃあったかい。徳島へ行ってからもサクランボを差し入れていただいたり、蕎麦を送っていただいたりしました。自分が成長できたスタートの地であり、山形に育ててもらったという気持ちが強いです。大切に育てていただいたのに恩返しがあまりできなかったのがちょっと心残りですが。今はもう故郷という感じで、帰りたいというか、遊びには絶対に行きたいです」

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