【全文公開】日々雑感-『長谷部誠、かけがえのない旅路』

文:島崎英純 Text by Hidezumi Shimazaki

浦和の彼に思いを馳せる

長谷部誠と初めて会話を交わした日のことはよく覚えていない。

筆者は三十路を契機に一介のサラリーマンからサッカー専門誌編集部に転職し、入社直後の2001年7月に浦和レッズの担当記者を拝命した。このときはシーズン途中からの取材活動だったため、先輩記者の教えを請い、半ばアシスタント的な立場で業務に邁進したから、チームや選手と密接した関係性を築けなかった。翌2002シーズンからはほぼ正式に浦和の担当として年始初頭の鹿児島指宿キャンプからチームを追いかけたが、時の指揮官だったハンス・オフトはこの年の新卒選手のうち坪井慶介と平川忠亮の2名しか指宿キャンプに参加させなかったため、筆者は同じく高卒で同期入団した長谷部の存在すら認知していなかった。

長谷部はプロ2年目からコンスタントに試合出場するようになり、試合会場で取材する機会も増えた。ただ、当時の彼は口下手で言葉数も少なく同じようなフレーズを繰り返していて、正直面白い返答をしてくれるタイプではなかった。二十歳前後の頃から雄弁かつ仔細に試合内容やプレーのディティールを語ってくれた鈴木啓太などと比べて、いわゆる『取材しがいのある選手』ではなかった。

一方で、試合に出られずに燻っていた時に涙を流して悔しさを露わにしていた長谷部の姿に、筆者は共感の念を覚えていた。正直、彼のプレーを練習以外でほとんど見たことがなかった筆者にはどれほどの選手なのか分からなかったが、少なくとも内包する情熱を隠そうとしなかったその姿勢に揺るぎないプロ魂を感じていた。だからこそ、いつの日か膝を突き合わせて彼の本心を存分に聞ける機会が来てほしいと願ってもいた。

彼に初めて正式なインタビューをしたのは2004年夏、浦和がシーズンの中断期間中に北海道の函館でキャンプを張ったときのことだった。当時務めていたサッカー専門誌でクラブを跨いだリレーインタビュー、しかもチームメイト同士ペアでのインタビュー企画があり、同じく当時浦和に所属していた同期のGK徳重健太との対談という形でそれが実現した。

そのときの長谷部は明るく饒舌で、なにより天真爛漫だった。インタビュー場所の食堂に飾られていた蟹の模型を撮影用に使用する承諾を得られると、彼は楽しそうにそれを抱えてお茶目なポーズを取ってくれた。公の場では寡黙で実直な素振りを見せていた彼の実像は、素直で素朴で朗らかな人物だった。当時抱いた筆者の印象は長谷部が不惑の年齢に達した今も全く変わっていない。

頭脳明晰で聡明というパブリックイメージも間違っていない。このインタビューを境に筆者を某サッカー専門誌記者と認知した彼はその後、時折声を掛けてきて、『今日の試合の僕の採点はどんなかなぁ。厳しいと嫌だなぁ』と言っておきながら、『それでも、見たまま、感じたまま評価してもらっていいですよ』と言い、実際に何かを指摘したりすることはなかった。この頃の長谷部はすでに筆者の取材や単独インタビューでユーモアを交えながら緻密で仔細に返答するようになっていて、プロデビュー当初に振る舞っていた言葉足らずで無愛想な対応は意図的なものだったのだと知った。

浦和在籍時代の長谷部を思い返すと、必ずあるワンシーンが浮かんでくる。2004年11月20日、Jリーグ2ndステージ第12節の名古屋グランパス戦の結果次第でクラブ史上初のJリーグステージ優勝が決まる試合前。ロッカールーム外にあるベンチに勢いよくドカッと座った長谷部は、履いていたサンダルを足で器用にくるくると回し、熱気を放散させてコールを繰り返すゴール裏の浦和レッズサポーターを長い間見つめていた。後年にその時のことを聞いたら、『そんなこと、ありましたっけ?』と記憶がないようだったが、一方で彼はこんなことを言っていた。

「浦和レッズサポーターのことを見たり、声を聴いていると、心が奮い立つんですよね。だからそのときもきっと、試合前に感情を高める音楽を聞くように、彼らのことを見て、聴いていたんじゃないかなぁ」

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ドイツに渡ってからのことは、おそらく幾つもの機会があるので他媒体で記したいと思う。浦和時代のことも、まだまだ語りたいエピソードがある。だがまだ、彼の現役生活は終わっていない。

本人は引退を表明した2024年4月17日の会見でこう言っている。

「まだ今シーズンが5試合残っている。今はまだ思い出に浸りたくないです。シーズンが終わったら自分のキャリアについて話せます。僕はまだ一つの大きな目標を達成したいと思っています。それは、最後のホームゲームの後に(リーグ6位に入って)UEFAヨーロッパリーグの出場権を獲得し、アイントラハト・フランクフルトのファンと一緒に祝うことです

それでも言えることは、長谷部は浦和レッズというクラブとファン・サポーターの存在を特別視していたということ。だからこそ全力を尽くしてチームに貢献し、Jリーグ、ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)、天皇杯、そしてAFCチャンピオンズリーグの全タイトル獲得に邁進し続け、それを達成した後にドイツへ旅立ったのだと思う。

2年前にクラブ監修の浦和レッズ30周年記念ムック本発刊に際し、長谷部にインタビューする機会があった。恐縮ながら、その時に本人が最後に語った言葉をもって、彼の浦和レッズへの想いを記したいと思う。

--長谷部誠にとっての浦和レッズを、一言で表すと?

「一言だったら、『We are Reds』だよね。だからね、浦和レッズのファン、サポーターの皆さん、今の僕の思いを酌んでください。そう書いといてください(笑)。ただ、ひとつだけ言えるのは、その『We』の中には、当然この僕も入っている」

今シーズンが終了した後、長谷部は改めて日本で引退会見を開く予定だという。そのときに改めて、彼の実直かつ純粋な本心を聞けるだろう。

(了)

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