個性が強い選手たちが直面している“ つながり”を持つことの難しさ/【レビュー】ルヴァンカップ準々決勝第2戦 鹿島対名古屋
前半3分に188cmの中島大嘉をドフリーにして失点。後半に入り柴崎岳のパスを受けた仲間隼斗のゴールで同点に追いつくも、その後は決め手を欠き、PK戦も濃厚だった119分に突き放された。吉田温紀のミドルシュートが、マークに付いていた佐野海舟の足裏に当たり微妙にコースが変えると、関川郁万が出した足にもしっかりヒットせず、さらにコースが変わったシュートはゴール枠を捉えてしまう。天皇杯に続き、ルヴァンカップもどこか不完全燃焼のまま大会が終わってしまった。
以前の自分であれば、どうして岩政監督のチームは重要な勝負がかかった試合になると、こうした不甲斐ない試合内容になってしまうのだろう、と疑問に思っただろう。実際、岩政監督がこの試合でチームの最大値を発揮させたとは思えない。違う選択を取っていれば、もっといい試合ができたと思っている。敗退の最大の責任は監督にあるだろう。
しかし、チームの現状を知れば知るほど、それでも岩政監督はよくやっているのでは、と思うようになってきた。
この試合でも、不思議なほど選手たちが躍動する場面は少なかった。中継画面だと画角の問題もあり、ピッチ上の選手たちの動きを把握するのが難しかったかも知れない。しかし、スタンドで見ていた人たちは「なぜ、こういう動きをしないんだろう?」「ワイドに開いて立ち尽くしているのはなにか狙いがあるのかな?」「ここのスペースを狙わなくていいの?」などなど、選手の動きに疑問を感じた部分が多々あったはずだ。
いつの時代でもいい。鹿島が強かった時代を知っている人ならば、この試合でピッチに立った選手の動きの少なさを見て「これが岩政の狙いなのか?」と疑問に思うはずだ。今年の前半まで、私もそう思っていた。なぜもっと選手に自由を与えないのか。選手に選択肢を渡さないのかと、監督の采配に不満を抱いていた。
しかし、監督とも対話を重ね、選手に取材することでよくわかった。選手には自由が与えられている。プレー選択は彼らに委ねられている。
ボトルネックになっているのは、その状況でどうすればいいのか、なにをすればいいのかがわからない、ということにある。この意味が正しく伝わるだろうか。鹿島に加入する選手たちは、その年代のトップクラスの選手たちだ。その状況は変わっていないのに、入ってくる選手の素養は大きく変わってしまった。少子化の影響が出ているのか定かではないが、彼らが歩んできた成長過程は、これまでの選手たちと大きく異なる。信じられないかも知れないが、まわりとつながってプレーすることが極端に苦手なのだ。
これは鹿島が直面している問題とも言えるが、もっと大きく言うと日本サッカー界全体が抱える問題だ。
そのことが、いま岩政大樹がトライする“つながりのあるサッカー”の実現を難しくしている。
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