大きな仕事をしてないピトゥカがもたらした大きな変化(前半に限る)/【レビュー】YBCルヴァンカップグループステージ⑤ アビスパ福岡戦
サッカーやフットサルをしていると「あれ?今日はなんだか調子がいいな」と思うときがある。自然と次の展開が読めて、攻撃や守備でいいポジショニングが取れるのだ。急に自分が上手くなったような感覚に包まれることさえある。そういうことは、前日の夜によく眠れて、栄養バランスもよく、その他にもいろんな条件が重なってコンディションのよさとなって表れるのかと思っていたが、ディエゴ・ピトゥカが入った鹿島を見ると考えを改めざるを得ない。
3点を奪った横浜FC戦は、選手が一生懸命が考えながらプレーしているように見えた。どうやれば相手の守備を崩せるのか頭を捻りながらアイデアを出そうとする。それでもチャンスはつくれていたがボールは走っていなかった。
福岡戦は1点しか奪えなかった。前半に限っての話かもしれないがボールはよく走っていた。そして、選手が考えてプレーしているようには見えなかった。考えるより先に足が動いている。つまり、感じながらプレーできていた。
パスに「次はこうしよう」というメッセージが込められていたからだ。だから、プレーが自然と連鎖していく。
前線から下がってきた白崎凌兵にピトゥカからパスが出た場面があった。パスが出ると同時にFWジョン・マリが白崎に寄せる。しかし、その動きを考慮して出されたパスは、白崎がトラップすれば自然とジョン・マリからボールを隠せる位置に出され、顔を上げるだけで前の視界は開けていた。
「自分としては欲しいタイミングでパスが出てくるので次のイメージが持ちやすい」
チームきっての技巧派である白崎でさえそうなのだ。普段、技術では遅れをとっている選手ほど、視界は開け、次々とイメージが湧き出る楽しさを感じたことだろう。メッセージが込められたパスを受けた選手が、また次のパスにメッセージを込める。それが「3人目のパターンだったりとか、いままでになかったような崩しだったり」(白崎)につながっていく。
ディエゴ・ピトゥカの左足から驚くようなプレーは出なかった。それでも、ピトゥカのパスを受けた鹿島の選手たちは、見違えるように上手くなっていた。
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