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【無料掲載】鈴木翼選手(和歌山)「山形の皆さんには『ありがとうございます』ということは山形のサポーターの皆さんに言いたかったです」

■第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会 1回戦
8月27日(土)山形 2-1 和歌山(18:00KICK OFF/NDスタ/2,095人)
得点者:22’ディエゴ(山形)、55’白方淳也(和歌山)118’林陵平(山形)
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○鈴木翼選手(和歌山) ※13年~14年モンテディオ山形在籍・山形県鶴岡市出身

Q:サポーターの元へ挨拶に行った時は顔を上げられなかったようですが、あの時の心境は?
「ジュニアユースの時から山形にお世話になっていたんですが、公式戦でサポーターのみなさんにプレーを見せるという機会が無かったので、そういう姿を見せたいと思ってプレーした結果、負けてしまったんですけど、ああやって最後まで声援を送ってくれたところで、『見てもらっているんだな』ということをすごく感じたので、『ありがとう』という気持ちでした」

Q:あの場で何か言おうと思っていたんですか?
「何か言えれば良かったんですけど、そんな場でも無かったので。でも僕への声援も聞こえたので、山形の皆さんには『ありがとうございます』ということは山形のサポーターの皆さんに言いたかったです」

Q:実際涙も出ていたようですが。
「そうですね。あそこまで声援をくれると思っていなかったので。こういう経験はなかなかできないので、これで良かったと思うんじゃなくて、この先にまた活かしていって、プロの場でサポーターの人たちにプレーを見てもらえればと感じました」

Q:NDスタジアムでのプレーも初めてだと思いますが。感触はどうでしたか?
「育成に入った時から、トップチームはこのスタジアムでやっているので、その時からこのスタジアムでやりたいと常々思っていた部分はあって、でも結局ここでプレーすることは、山形にいる時は無かったので、まさかこんな形で当たるとは思ってなかったので、本当に、すごく、緊張もしたし、いつもとは違う部分もあったので、でも上手くプレー出来たかなと思います」

Q:同点ゴールのクロスは会心だったのでは?
「本当に決まってくれて良かったです。ああいう所でいい所が多少なりともでたのかなと。もっともっとああいうプレーを多くして、勝ちに繋げられる試合でもあったと思うので、そういうところを突き詰めて、こういう相手にも勝てるように頑張りたいです」

Q:隙あらばああいう縦の突破は狙いながら?
「自分たちはチャレンジする方なので、ボールを持ったら、前の方に行ったら自分達で仕掛けて一本でもクロスを上げてやりきって終わろうというのはあったので、そういう所が上手く決まってくれたのかなと思います」

Q:ファーを狙っていたんですか?
「そんなに中をちゃんと見れていた訳ではないんですけど、あそこまで深く入ったらファーにいるだろうと思ってやっていた所で、居てくれたので」

Q:あのコンビネーションはいつも?
「本当に初めてに近いくらい、上手く決まったというか」

Q:伊東俊選手とも何度もマッチアップしていましたが。
「俊君のプレーはなんとなくわかっていて、ドリブルが上手い選手なので、飛び込まずにしっかりと対応しようというのはありました」

Q:紅白戦でやっていた時よりも通用するようになった?
「自身を持ってできていたなというのはありました」

Q:現在は和歌山市内のホテルに勤務しているそうですが。
「事務で電話を取ったり、予約を取ったり、たまにフロントに立ってチェックインしたりしています」

Q:和歌山の選手は皆仕事を?
「そうですね。皆仕事はバラバラで働いています」

Q:練習は週にどれくらい?
「月曜だけ休みでそれ以外は毎日。午前中に練習をして、午後から仕事です。職場によってバラバラですけど。早くサッカー一本でやれるように、上に上がれるようにがんばりたいです」

Q:今回山形と対戦することになったのは、トーナメントの運もあると思いますが、和歌山県代表がモンテディオ山形と対戦することが決まった時は相当意識したのでは?
「天皇杯はそういうのがあるのはわかっていたんですが、いつもうちのチームは近畿圏とかが多かったので、そんなに当たらないだろうなというのはあったんですけど、それでまさか一回戦から当たると決まった時は本当にびっくりして。意識せざるを得なかったですし、すごく意識していました。うちは県予選からなので、まずはそこを勝たないとというのはあったんですけど、気になっていました」

Q:体重が増えました?
「いやそんなに変わらないです。だいぶ絞りましたけど」

Q:山形出身で対戦相手ながら応援していたサポーターも多かったと思います。メッセージをお願いします。
「僕が山形を離れて、今は山形の選手ではないですけど、山形で生まれて山形で育ったので、山形のサポーターの皆さんに自分がサッカーをしている姿を、今日みたいな形でも見せていけたらと思います」

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