秋田サッカーレポート

【無料公開】【10,000人応援プロジェクトへの道】vol.4 ブラウブリッツ秋田 サポーターグループ BLUE+AKITA コールリーダー対談「ゴール裏からソユースタジアムの熱量をさらに上げていく」

 

ブラウブリッツ秋田がホーム開幕2連戦で実施する「10,000人応援プロジェクト」

スタジアムに来場する多くの人を応援で突き動かすブラウブリッツ秋田のゴール裏。そのゴール裏の中心で応援を先導するのがコールリーダーです。

ブラウブリッツ秋田のサポーターグループ「BLUEAKITA」は、2023年にコールリーダーが代替わりしました。前任の佐藤さんと、新任の佐々木さんの対談を通じて、チームを応援する熱い思いに迫りたいと思います。(全2ページ)

BLUE+ AKITA Network

 

佐藤篤さん

写真提供:佐藤篤さん

●プロフィール
秋田市出身。1978年生まれ。2016年にBLUEAKITA4代目コールリーダーに就任し、2022年に退任。

 

佐々木聡太さん

写真提供:佐々木聡太さん

●プロフィール
秋田市出身。1998年生まれ。2023年にBLUEAKITA5代目コールリーダーに就任。

 

 

竹内:佐藤さん。ブラウブリッツ秋田との関わりの原点を教えてください。

 

佐藤:僕は大学進学で上京して、出版社に就職して編集の仕事をしていました。当時の勤務先の東邦出版は、いまはもうなくなったんですけど、サッカーの技術書や海外の選手の翻訳本を出していました。サッカー本の編集担当と仲よくなって、フットサルのサークルに誘われて参加したときに、サッカー業界の人たちも集まっていたんです。そうすると「どこのサポーター?」みたいな話をあいさつ代わりに聞きます。それに対して「おれはヴィッセル神戸」「おれはサンフレッチェ広島」とまわりが返していくなかで、自分が聞かれたときに言葉に詰まってしまったというか。サッカーは嫌いじゃないしスポーツは見るのも好きでしたが、自分が応援しているチームがないのに気づきました。

それで秋田にサッカークラブがあるのかなとネットでいろいろと調べたら、ちょうどTDKサッカー部がJFLに上がるタイミングで、しかも天皇杯で勝ち上がっていて、味の素スタジアムでFC東京と試合をやると知りました。そこで「まずはこれを観に行こう」と。

スタジアムでは、天皇杯とはいえFC東京に何千というサポーターがいて、かたやTDKは数百人。多勢に無勢のシチュエーションに驚くと同時に興奮したというか。「このチーム応援したいな」と思ったんです。それから関東で試合があるときには観戦するようになりました。それがスタートです。

 

竹内:スポーツを見る習慣はもともとあったんですか?

 

佐藤:はい。僕はプロレスとか格闘技が好きでした。編集の仕事もプロレスとか格闘技の雑誌とか、あとは関連団体のオフィシャルホームページの運営などを担当している時期もありました。なのであまり抵抗はなかったです。当時は味の素スタジアムから自転車で10分くらいの場所に住んでいたんですが、サッカーを観戦するきっかけがありませんでした。職場内のフットサルサークルに入って、一気につながった感じです。

 

竹内:佐々木さん。ブラウブリッツ秋田との関わりの原点を教えてください。

 

佐々木:初観戦は、まだTDKサッカー部の時代でした。私は小・中・高でサッカーをやっていて、確か中学生のときに、招待かなにかで八橋陸上競技場(現ソユースタジアム)に観に行く機会があったんです。

初めて観戦したTDKサッカー部の試合は、観客数は多くないんですけど、自分の地元でこんなに熱くなれるものがあるんだと、感動というか、すごく心が踊るものを中学生ながら肌で感じました。ただそこはきっかけに過ぎなくて、ゴール裏で応援するとかスタジアムに通い詰めるまでには至っていません。

自分のなかで大きく変わったのが、チームがブラウブリッツ秋田になって、J3リーグに参戦していた2016年頃から。試合で結果が出始めて、一般的な人と同じように関心を持つようになりました。ユニフォームを買ったり、DAZNに加入したり、徐々にのめり込んでいく形になったんです。

ゴール裏に通い始めたのは実は最近で、2020年から。その頃からアウェイ遠征にも行くようになりました。2020年はコロナ禍で声を出せないシーズンでしたが、そんな応援スタイルのなかでも、ゴールが決まった瞬間とか勝った瞬間は、まったく知らない人たちとブラウブリッツ秋田というコンテンツで、同じ喜びを味わえることにたまらなく興奮しました。鳥肌が立つくらいの感覚です。

いまでこそゴール裏には知っている人がたくさんいますが、同じもので喜び合って、ハイタッチを交わしたり声を掛け合ったりできる。こんなに非日常的ですばらしい空間があるんだなと感動しました。それでゴール裏に通うのがほんとうに楽しくなって、いまに至っています。

 

竹内:佐藤さんはいきなりゴール裏に行ったんですか。

 

佐藤:当初は離れたところでした。最初の観戦は横河武蔵野の陸上競技場で、現地は鳴り物が禁止で、メインスタンドを左右に分けて応援する形式です。そこでなかなか(ゴール裏に)入れず、秋田側ではあるけどちょっと外れたところにいました。当初は仕事の癖もあって、スコアが動いたときにTwitter(現X)で速報していると、SNSでのつながりも増えていって、応援というよりは速報に専念。それでも応援も楽しそうだなと思うようになって、徐々に徐々に近づいていって、数試合を経てゴール裏に行きました。

 

竹内:ゴール裏に行くときにハードルは感じましたか。

 

佐藤:ゴール裏もそうですけど、コアの応援に参加するからには、チャントとかもある程度頭に入れた状態が前提というか。同じぐらいは無理だとしても、力になれるぐらいの状態じゃないと、行って黙っているのも失礼かなとは思いました。その踏ん切りはあったと思います。そこからネットを漁って、といっても当時はまだそれほどありませんでしたが、チャント覚えるようになりました。

 

竹内:佐々木さんはブラウブリッツ秋田のゴール裏に行くときにハードルは感じましたか。

 

佐々木:感じませんでした。2020年はコロナ禍ならではの事情というか、声出しがなくて、誰でも行きやすい雰囲気だったんですね。いまでもその頃にゴール裏に行くようになった人はかなり多く、そのなかの1人という感じです。それに加えて、傍から見て秋田の地域の人柄が現れているというか、行きやすい雰囲気は感じていました。そうした事情も含めて、ハードルはなかったです。

 

竹内:佐藤さんはBLUEAKITAの何代目のコールリーダーだったでしょうか。

 

佐藤:ブラウブリッツ秋田になってからでいうと4代目です。

 

竹内:BLUEAKITAの成り立ちを教えてください。

 

佐藤:最初は地区や地域ごとで団体があったんです。にかほ市、秋田市、関東、県南など、そのくらい分かれていました。それぞれ人数がいないのに団体だけ増えていたのをひとまとめにする形でBLUEAKITAができました。

 

竹内:佐々木さんにとって、ゴール裏に行くことはBLUEAKITAに入るというイメージでしたか。

 

佐々木:いや、そもそもゴール裏は誰でも行っていい場所という認識だったので、そういう感覚はなかったですね。BLUEAKITAは応援をリードする中心団体だと捉えていました。

 

佐藤:それで言ったら僕もコールリーダーになるギリギリまでBLUEAKITAじゃなかったですね。ゴール裏で応援はしていましたけど、BLUEAKITAに入るかどうかは別だったというか。「入りたい」と言って入れるものなのかもよくわかってなかったです。

 

竹内:BLUEAKITAに入ったという認識はいつからでしょうか。

 

佐藤:僕は2014年のJ3初年度の時に、社会人生活をしていた東京から秋田に戻ってきたんです。秋田にいずれ帰らなきゃというのと、帰ったらブラウブリッツ秋田をあきぎんスタジアム(現ASPスタジアム)で応援したいと思っていました。

東京にいたときは少しずつゴール裏で応援に参加はしていましたが、本格的に応援するようになったのは2014年で、まだBLUEAKITAに入っていません。

新参者として、誰よりも大きい声出して応援しないと受け入れてもらえないだろうなという意識があって、ルールもわからず最前列の中央に行ってガンガン応援をしていました。それをやっているうちにだんだん認められたのか、「BLUEAKITAに入らない?」と言われ、「いいですよ」という形になったんです。それが2015年の後半頃でした。

それからまもなく、前のコールリーダーから「コールリーダーに興味ある?」と言われ、お試しで2度やって2試合とも勝ったんです。リードした試合で勝ってうれしかったし、まわりも「いいじゃん!」という雰囲気になり、2016年から正式にコールリーダーになりました。トントン拍子でしたね。

 

竹内:いまのお話ですと、早いうちに照準を定められていたのかもしれませんね。

 

佐藤:それはあったのかもしれないです。自分のなかで誰よりも声出しで負けたくないっていう思いでやっていました。

 

竹内:佐々木さんがコールリーダーに就任したのはいつでしょうか。

 

佐々木:厳密には去年2月の群馬との開幕戦からです。それまでは普通に声出したり、パイフラ振ったりしてました。

 

竹内:佐々木さんは立候補ですか? 指名ですか?

 

佐々木:完全に指名ですね。自分ではなくほかの人がなると思っていて、コールリーダーが決まるミーティングに参加するまでまったくわからなかったです。いまでも「なんで自分が選ばれたんだろう?」っていうくらい、ホントに予想していませんでした。いまでも篤さんに聞きたいくらいです(笑)

 

竹内:ちょうど丸1年経ったところで、ご自身の評価を教えてください。

 

佐々木:なかなか難しいんですけど、ひとことで言うと、傍から見るのとやってみるのはまったく違うなと思います。というのも、「やってみたらなんとかできるんじゃないか」という思いがあって、もちろんやれば慣れてはくるんですけど、やればやるほど「こうしたほうがいいんじゃないか、ああしたほうがいいんじゃないか」とか。「もっとこうできるのかな」とかっていうのが頭に浮かんでくるんです。ほんとうに奥深いというか、探究しがいがあります。

 

竹内:佐藤さん。佐々木さん指名の背景を教えてください。

 

佐藤:もともと自分はコールリーダーを2016年からやってきて、どこかしらで区切りはつけなきゃいけないなと思っていました。2017年にJ31回優勝して、J2に上がれなくて。そのときに自分のなかで、意地というか、J2上がるまでは続けようと。優勝の喜びもありましたけど、スタジアムの問題で昇格できなかった悔しさもあり、なんとしてでもJ2に上がるまでは、自分になにか起きない限りは続けようと決めました。

2020年に2度目のJ3優勝で昇格して、そこでバトンタッチできればよかったんですが、ちょうどコロナ禍で声出し応援ができない状況での優勝でした。応援をやり切ったところでやめるつもりだったのが、コロナ禍で思惑が狂って、モヤモヤがあったんです。

結果的に2021年、2022年とやって、2022年に声出し応援が復活して、ここでやり切ろうと。当時はコロナがまた変異して声出しができなくなるかわからないから、悔いなくやれるだけやり切ってバトンタッチしようと思いました。

その意味では、どっちかというと自分勝手に決めてしまったというか、「次、誰にしよう」というよりも、まず自分のコールリーダーとしての引退を先に考えていました。言い方を変えれば、自分が辞めることにして「次、誰かたのむ」という形にすれば、おのずと決まるだろう、誰か名乗り出るだろうという考えです。

後任には、自分の考えをしっかり持っていそうな人に託したかったんです。コールリーダーをやってると、まわりから「ああしたほうがいい、こうしたほうがいい」という声が耳に入ってきます。それをやる・やらないの選択は、自分の軸を持っていないとやっていけない。人の意見を気にしすぎたり、まわりに振り回されると持たないなと思っていたので。

次に熱意と若返りです。ふだんゴール裏で応援をしているとき、自分は高い位置から全体を見渡せます。すると誰が一生懸命応援しているか、誰が熱いかが伝わってきます。そのなかで佐々木くんはアウェイにけっこう応援に来ていて、一緒に熱い応援をしていました。そして圧倒的に若い。後任は自分よりも年下じゃなきゃいけない。変わるのであれば一気に変わった感を出したかったんです。

佐々木くんにはリーダーとしての素養があると思っています。自分が仲間内で「アイツいいんじゃないかと」と言ったところ、「たしかにそうだな」というやりとりがあったほどです。あとはやってくれるだろうな、頼めば「やる」と即答してくれるだろうなという期待ももちろんありました。振り返ると、佐々木くんのやる気を見ていたかもしれません。

 

竹内:佐々木さんは佐藤さんの話を踏まえて、あらためて聞きたいことはありますか。

 

佐々木:自分に決まった後に「なぜ自分だったのか」はちらほらと聞いてはいました。まず思ったのが、若いっていう点です。秋田のゴール裏はほかと比べると、まだまだ中心部に若い人が少ないので選択肢は絞られてきます。それと、アウェイゲームに行っていた点はかなり大きいのかなとは思いました。平日開催であれば首都圏、熊本、岡山など。人が集まらなそうだな、行きづらいだろうなという平日の試合で応援したいとすごく思っていました。そうすれば応援しがいもあるだろうと。それが目立つ要因になっていたと思います。

 

佐藤:(後任について)ちゃんと話したのは(2022年の)アウェイ岡山戦のあとだったよね。

 

佐々木:そのときですね。岡山との試合が終わって、篤さんのレンタカーに乗って一緒に伊丹(空港)まで行って飲んだのが初めてでした。アウェイの最終戦でしたよね。

 

佐藤:そうだよね。そのときまで深く話すタイミングもあまりなかった。お互い帰る方向もバラバラで。コロナもあったし、集まって飲むみたいな感じはなかったね。

 

佐々木:ですね。当時は盛岡に住んでいて、接点がスタジアムだけでした。コールリーダーになるのが決まって、これはもう本格的に応援しないといけない立場だからなと、コールリーダー就任がきっかけで転職して秋田に戻ってきたんです。無茶苦茶なんですけど。

 

竹内:まさに覚悟ですね。佐藤さんは去年1年、佐々木さんのリーダーぶりを見て、どんなことを思いましたか。

 

佐藤:上から目線でアレなんですけど、本当によくやったと思います。明らかに自分のときよりもゴール裏の人数が増えてます。去年のアウェイ仙台戦のような雰囲気。自分のときはアウェイであのくらいになることはなかったです。佐々木くんはああいう状況でも物怖じしない。俺の目に狂いはなかったなと思いました。

自分のときもそうだったんですけど、ブラウブリッツ秋田でサッカーを見るようになった人もいれば、別のチームを応援していて秋田に流れてくる人もいます。すると別のチームの応援スタイルが身についていて、けっこう好みがバラバラになるんです。たとえば「90分間ずっと途切れずチャントをやり続けたい。それが応援だ」という考えの人もいれば、状況によって声を出してメリハリをつけるのもあります。

去年も実際にそういう場面があって「俺のときもあったな」と思っていました。でもそこでアドバイスをしすぎても、たぶん佐々木くん自身が一番困惑するだろうなと。自分もいろいろ経験しながら、いろいろ考えて自分で答えを見つけていたので。「ああしろ、こうしろ」とかはあまり言わなかったような気がします。佐々木くんのリーダーとしての応援スタイルもあります。

 

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