【無料掲載】2017明治安田生命J1リーグ第8節・コンサドーレ札幌戦[ミハイロ・ペトロヴィッチ][監督コメント]

Q 今日の後半に関してはディシプリンに問題があるように見えたが?
今日は選手たちもイライラの募ったゲームなのかなという印象があります。私も監督を長くやっていますが、こういった相手、展開の中でチャンスを作っているけど得点を重ねられない、あるいは自分が動き出したところでミスが重なってボールが出てこない、そういうことが試合の中ではあります。それで選手がナーバスになってイライラしてしまうことはあるでしょう。このことについて私は理解を示していますし、そういう中でも結果を出したことを評価してもいいと思っています。

Q 札幌は引いて守りを固める中でもボールが入ると食いついてきたが、浦和はそれをうまく利用していたようにも見えたが?
まず、我々の日々のトレーニングが今日の試合に生かされていたと思います。毎日、繰り返し反復しているシチュエーションが、今日の状況で生かせていたと思います。選手にとって、繰り返していくトレーニングは決して簡単なことではないと思います。味方が落ちる、相手が食いついたスペースに出ていく、ボールの出し手とのタイミングがある、早く動きすぎてもダメだし、遅く動きすぎてもダメで、選手たちの共通理解がないと生まれないものです。

もちろん、試合前に相手の3バックは比較的ボールに食いつき気味で来るというのはわかっていたし、相手の3バックにはそこまでスピードがないというのもわかっていました。その中で、いかに意図的に3バックを引き出して、裏を使っていくかというのは選手たちに伝えていましたし、そういう中で選手たちはうまくチャンスを作っていたと思います。ただ、それも状況です。もし来なければ、ターンして前を向けという指示も出していますし、そういった状況判断はトレーニングの中で生まれています。反復している中で、そういう状況を選手がうまく使えるようになっています。

練習では、うまくいったからといって全て褒めることはないです。たとえば、関根が練習の中でシュートを決めたとしても、もっといい状況の選手が見えていたか、見えていないかを私は選手に問いかけます。もし、見えていなければ、私はそのシュートをいい判断だったとは言いません。もちろん、シュートを打つことはいいことです、ただ両方が見えた上で正しい判断をしなさいと選手には常に求めています。練習の中で、結果がよければそれでいい、ということは求めていません。その状況の中で最善の選択肢はどこにあったのか、それを常に問いかけています。

見えていた上での判断で、シュートなのか、パスなのか。選手の判断はリスペクトしますが、見えていないで選択したのなら、それはいい判断ではないと思います。選手が選択肢を持ってプレーできる、それを監督として与えないといけないと思います。それがいいのか、悪いのか、それは外から見ている私が選手に対して、常に問いかけていかないといけない。

仙台戦、森脇が関根にパスを出し、関根が折り返して慎三がゴールを決めたシーンがありますけど、ああいった判断は森脇、関根の素晴らしい判断だったと思います。森脇がボールを持ち出し、いかにもシュートを打つというモーションで左足で関根にスルーパスを出したと思いますけど、ああいうボールを引き出す動きをしていた関根も素晴らしいし、パスの判断をした森脇も素晴らしい。複数の選択の中で出したプレー、ああいうのは幸せになれる、サッカーの醍醐味のようなものだと思います。

見ている観客が意外性のあるパスで首が痛くなるような、そういったシーンが多いサッカーの方がおもしろいと思います。勝負のパスが、見ている人の予測を外すような意外性のあるものであるのがサッカーの醍醐味かもしれません。ストッパーの森脇がそういったパスを出せるというのは、素晴らしいクオリティだと思います。見る方によって、いろんなサッカー観があると思いますが、私はそういうものが多い方が観衆を魅了すると思っています。

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