【福田正博】2008年から3年間のコーチ時代を振り返る(2011/4/6)
編集部
「福田さんは2002年をもって現役を引退され、5年間クラブから離れてお仕事をされていました。2008年にコーチとしてクラブへ戻る訳ですが、その発端となったことを教えてください」
福田
「2006年にS級ライセンスを取って、『もうそろそろ現場に戻りたいな』と考えていたタイミングで浦和から話があった。また、その時の監督がオジェックだったので、やらせて下さいと返事をした。オジェックには様々な評価があると思うけど、FIFAでテクニカルコーチの仕事をしていて、指導者を教える仕事をしていり、非常にしっかりした考え方を持っている人だし、そういう人と一緒にスタートを切りたいなと考えていた。まして、浦和でやれるのなら尚更。
その時の監督がオジェックじゃなければ、戻ったかどうかはわからない。オジェックから色んなものを学びたいと思ったし、彼は学べる人だと僕は考えていたから」
編集部
「S級を取って、浦和以外のチームで仕事をするという考えはありましたか?」
福田
「それは無かった。住居も浦和に構えているし、出来れば浦和でやりたいと考えていた。そういう意味で、良いタイミングで話をもらえたと思う」
編集部
「2008年は、トップチームのコーチとして招聘されたんですか?」
福田
「トップチームだけど、サテライトの担当ということだった。前の年にACLを獲ってチームは右肩上がり、イケイケの感じになっていて、ユースの子たち、直輝や峻希らが成長してきたところだったから、そういう選手たちをサテライトで一緒にトレーニングをしていくという考えを、クラブは持っていたようだ。そうした一環で、やってみないかという話で入ったんだけど、実際のところは無理だった。
オジェックがあのような形で解任となってしまい、監督が替わり、次から次へと色んなことが起こって、チームが崩壊するような状態になっていたから、当初の目的をまったく達成することなく、1年間を過ごすことになってしまった。また個人的にも、オジェックと一緒に仕事をしたかったから現場へ復帰したという意味もあったのだけれど、2ヶ月弱という短い時間で彼が解任されてしまったことは、非常にショックな出来事だった」
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