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浦レポ by 浦和フットボール通信

阿部勇樹引退会見 浦和を愛し、愛された男が、今季限りでスパイクを脱ぐ

(Report by 河合貴子)

引退後は指導者の道へ

サッカーを愛し、浦和を愛し、浦和を愛する人々からも愛された阿部勇樹選手が、今シーズン限りでスパイクを脱ぐことになった。また一人『浦和の漢』と称される選手がピッチを去ることになった。阿部選手は「本当に幸せなサッカー人生でした」と心の底から込み上げてくる思いを噛みしめた。

ジェフユナイテッド市原(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)の下部組織で育ち、「高校生でもJリーガーになれると道を開いてくれた」と既に高校生デビューを果たしていた山口智選手(現・湘南監督)や酒井友之選手(現・浦和ハートフルコーチ)たちの背中を追いかけていった。そして、1998年にわずか16歳と333日と当時のJ1最年少記録を更新して華々しくデビューを飾ったのだ。阿部選手のサッカーの原点は、やはり千葉にある。

イビチャ・オシム監督との出会いも、阿部選手にとって大きなものであった。「自分が変わるきっかけと言いますか、僕の考え方を変えてくれたイビチャ・オシム監督には本当に感謝しております。まだまだ若い僕が、何が足りないのかということを考えるきっかけを与えてくれた監督です。監督の教えは今でも僕の中で大事にしていて、この先も忘れずにやっていこうと思っています」と話すほど大切な存在であった。

サッカーの原点である千葉から2007年に浦和へと移籍を決めたときも、オシム監督が日本代表監督に就任し、千葉を離れたことが要因の1つでもあった。そして、リーグ優勝、天皇杯と2冠を獲得した浦和で、更なるスキルアップを求めて移籍してきたのだ。

2007年に千葉から浦和へと移籍してきた時、千葉の関係者から「うちの阿部をよろしくお願いいたします」と頭を下げられたことがあった。そして、「人見知りで、すごくシャイで誤解されるところもあるが、すごく良い奴だから」と阿部選手の性格などを当時に聞かされたことを覚えている。千葉にとっては、本当に大切に育てた選手で宝物のような存在だったのは、間違いない。

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