【無料記事】【コラム】 5年半ぶりに日立台のピッチに立った藏川洋平「温かく迎えてもらった」 -1403文字- (2016/05/23)
藏川洋平が公式戦で日立台のピッチに立つのは、2010年J2第37節の岡山戦以来となる。柏での最後のシーズンになった2011年は公式戦2試合に出場しているが、1試合はアウェイのヤマハスタジアム、もう1試合は天皇杯2回戦の栃木ウーヴァ戦で会場は柏の葉。したがって、実に5年半ぶりの日立台でのプレーとなった。
「日立台は自分にとって特別なスタジアムなので、そこでやらせてもらえるというのは感慨深いものがありました。今日に限って言えば日立台が赤くなっていたので、不思議な感じがしました」
地震の影響で、うまかな・よかなスタジアムでの開催が困難になり、日立台での代替開催となったJ2第14節の熊本対水戸の試合。この『熊本地震復興支援マッチ』を終えて、ミックスゾーンに現れた藏川は、馴染み深いかつてのホームスタジアムでのプレーの感想をそう口にした。
スタンドでは黄色の23番のユニフォームを手に広げている人や、かつてのゲーフラを掲げている人の姿が見えた。試合中には、自分がボールを持った時にスタンドがひと際沸き上がるのも感じた。
「温かく迎えてもらった気がします。『まだ忘れられていなかったんだな』って」
藏川が柏に加入したのは2006年。初の降格の憂き目に遭ってから再スタートを切り、あらゆる環境が改善された激動のシーズンをともに戦ったメンバーであり、のちに数多のタイトルを獲得する土台を作り上げた2010年J2優勝と、クラブ史に燦然と輝く2011年J1優勝を経験したメンバーの1人である。
さらに年長者でありながら年上扱いをされないチーム内での立ち位置、若手ばりに走りきるプレースタイルも相まって“永遠の若手”と呼ばれたキャラクターに加え、異色のキャリアによって筋金入りとなったメンタリティーの強さで、人々の記憶に残るプレーが多かった。
おそらくこの先も藏川が柏サポーターから忘れられることはない。
5年半ぶりに立った日立台のピッチ。この場所への特別な想い、そしてなにより熊本へ元気を届けたいという強い気持ちがあったからこそ、0−1で敗れた試合結果には「勝ちたかった」と悔しさを滲ませていた。
「中には実家が倒壊した選手もいますが、自分たちはサッカーをやれているだけまだいいと思います。避難所にいる人たちもいるので、そういう人たちのためにも自分たちがもっと良いニュースを届けなければいけないと思うし、プレーで元気づけることしていかなければいけないと思います。プレーの他にも、避難所を訪問したり、そういうことで力になっていきたい」
この水戸戦でも後半に足をつらせる選手が何人か出ており、コンディショニングに関しての不利は明白だった。だが、「もう始まっているので、そんなことは言っていられない。気持ちで走るしかないです。昔、イシさん(石崎信弘監督)に『体を動かすのは気持ちじゃ』って言われましたからね」と、柏で指導を受けた師の言葉を用いた。
6日後の5月28日、熊本はノエビアスタジアム神戸でホームゲームを戦う。
熊本のオフィシャルスーツをビシッと着た藏川は、日立台を後にするときに「今度は熊本に来てください」と言葉を残した。
もちろん行かせてもらうつもりでいる。そして、藏川もまた日立台に帰ってきてほしい。自身3度目の昇格を果たし、今度はJ1の舞台で、柏の対戦相手として。
(取材・文 鈴木潤)