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「本当にたくさんの人に支えられたことが僕にとって最高の時間だった」藤嶋栄介 GKスクール 藤嶋栄介選手 囲み取材

毎年、ポストシーズンに行われてきたこのクリニックも4回目。今回は、主催者である藤嶋選手の鹿児島ユナイテッドFCへの完全移籍が前日にリリースされたタイミングとなった。終了後、藤嶋選手の囲み取材が行われた。

-一今日の参加は40人ぐらい?
40人ぐらいですね。最初、30人でやろうと思ったんですけど、思った以上に、ここ数年では人が集まってもらって。毎年毎年、15人ぐらいが受付直後にバーッと入って、そこから最後の1週間でちょっとずつ埋まっていく形だったんですけど、今日に関しては発表してから1週間で30人が全部埋まっちゃって、そこからもう何人か参加したいということで枠を増やしました。スタッフの数が足りなかったので微妙な部分もあったんですけど、そのなかでも、「やりたい」という子は入れてあげたいなと思ったので、ちょっと大人数になったんですけど、やらせてもらいました。

-一前日には鹿児島へ完全移籍するとのリリースもありましたが、今回のスクールをどんな思いで迎えられましたか?
山形の選手としてやる最後のGKクリニックだったので、僕自身、自分の思いだったり、この4年間やってきたことというところを最後も子どもたちに伝えて、一生懸命プレーすることだったり、自分の気持ちをプレー面で伝えることだったり、といったところを伝えることを意識して、最後はやらせてもらいました。

-一今日、子どもたちと実際に会ってみて、いかがでしたか?
最初始まったときは少人数からスタートして、今年は約40名の子どもたちに集まってもらって、4年間来てくれた子もいますし、初めての子もいますけど、「来て楽しかった」という言葉をいただけて、本当に4年間やってきてよかったなと。「来年もやってね」という声もいただいたので(笑)、山形の選手としては最後ですけど、ここで山形との関係が終わるわけではないので、今後ともこういう活動が続けていける関係であればいいのかなというところは、子どもたちからすごいパワーをもらいました。

-一ということは、今後も山形で、というところですか?
そうですね。本当にたくさんの子どもたちがそうやって言ってくれたので。本当に山形のことは大好きですし、山形の子どもたちのためにも、山形のためにも、来年以降もこういう活動をさせていただけるのであれば、続けていきたいかなと思っています。

-一山形で始められたクリニックということで、藤嶋選手にとって、ここまで山形への思いが熱くなったきっかけは何かあるのでしょうか。
やっぱり、山形の「人」ですかね。僕が川崎(フロンターレ)からやってきて、本当にたくさんのポーターの方だったり、スポンサー企業の方だったり、会社の方だったり、選手・スタッフだったり、本当にいろんな人に支えられてやってこれた4年間だったなと。大きな怪我もあるなかで、何回もサッカーやめたくなる時期もありましたし、ポジション奪われて悔しい時期、立ち直れない時期もあったんですけど、そんなときにも、本当にたくさんの人に支えられたことが僕にとって最高の時間だったので、山形に来て、たくさんの人に支えられて、本当に山形を好きにさせてもらったかなというところが、山形に対する僕の一番の強い思いのきっかけかなと思います。

-一だからこそ、山形に何かを形にして返したいという思いが生まれたのでしょうか。
そうですね。僕にできることといったらサッカーなので、自分のできるこのサッカーで恩返しできればというところで、この4年間、一生懸命取り組んできたんですけど、それがさっき言ったように、子どもたちから「来年もやってね」という言葉になって出てきたというのは、僕自身も本当にうれしいですし、やってきてよかったなと思います。

-一昨日のリリースを見て、「泣いてしまった」「本当に寂しい」という子どもたちもいました。今日来てくれた子どもたちに期待することは何かありますか?
たくさんのポテンシャルを持った子どもたちがこの山形に…山形だけじゃないですけど、たくさんの子どもたちがいます。本当に、素晴らしい能力を持った子どもたちですし、いまはサッカーを存分に楽しんで、全力でグラウンドの上を駆け回ってほしいですし、僕もチームが変わって鹿児島に行ってしまうんですけど、サッカーを続けていけばまた一緒にサッカーできると思っているので、また違うところで会ったときに、「あのとき、藤嶋選手のGKクリニックに参加したよ」と言ってもらえるとすごいうれしいですし、伸び伸びとサッカーをやっていくうえで、またどこかで出会えたら最高です。さっき言ったように、来年もまた会えるかもしれませんし、子どもたちには全力で、これから先のキーパーを楽しんでもらえたらと思います。

-一毎年開催して、子どもたちからも積極的に声が出てくるようになったなと感じることもありましたか?
子どもたちの取り組む姿勢だったりとか、プレーの質だったりというのは、本当に4年間で大きく変わったなと感じさせてもらう部分です。この1回のトレーニングで大幅にうまくなるということは、正直あまり考えられないんですけど、毎年やっていくなかで、たぶん自分たちのチームに戻って、成長するために一生懸命にやってきたんだなというのを、毎年毎年、僕のほうが感じさせてもらっているので、このクリニックに参加したおかげかはわからないんですけど(笑)、本当にたくさん成長して帰ってきてくれているなというところを感じさせてもらってます。

-一鹿児島にでもこのような取り組みは考えていますか?
やっぱり山形だけでこの活動を終わらせるわけではないので、山形でこういった活動を続けていくなかで、次のチームでも還元したいと思っていますし、さっき言ったように、山形でもまた活動できればというふうに思ってますし、自分のできることというのを常に考えながらやっていくのがプロアスリートだと思うので、そういった部分で、鹿児島でも僕のできることを全力やっていこうと考えています。

-一ちなみに、「やっしょうびねがー」の販売のほうは?
もちろん山形との関係は続いていくので、今後ともたくさん作らせていただくので、皆さん、たくさん買ってください!(笑) よろしくお願いします!

-一山形にはいつまでいらっしゃいますか?
17日か18日にこっちを出て、実家(熊本市)のほうに行って、そこから鹿児島に合流するという形になると思います。山形のほうにはあと1週間いるかいないかぐらいなんですけど、そのなかで、この山形を全力で楽しんで、悔いのないように…と言いつつ、たくさん悔いはあると思うんですけど(笑)、楽しんで九州のほうに帰りたいなと思っています。

-一地元の熊本に近い鹿児島への移籍ということで、何か縁はありましたか?
実家からはすごく近くなるので、家族はすごいよろこんでましたし、九州を出て10年ぶりに九州に帰るので、いままで家族に近くでサッカーを見られなかったぶん、そういったところを見せるチャンスでもありますし、試合に出て活躍しているところを見せれば、山形の人にもそういった活動が届くのかなと思うので、まずは鹿児島に行って、しっかり正ゴールキーパーの座を奪って、僕が鹿児島で頑張っているという姿を見せて、そのパワーが山形に伝わればいいかなと思っています。

-一ゴールキーパーでプレーする人は多くないと思いますが、こうやってゴールキーパーをめざしてくれる子どもたちへの思いはありますか?
ゴールキーパーって孤独で過酷なポジションだと思うんですけど、そんななかで、今日終わったあとに「楽しかった」とか、明るい声を聞けるというのは本当に素晴らしいことで、そんな苦しい状況のほうが多いキーパーのなかで、楽しくキーパーをやってくれている子どもたちがいるのは、本当に明るい未来がこの先にあるんだなと感じますし、そういった子どもたちが増えていくなかで、いいゴールキーパーというのはここからたくさん出ていくんだなと僕自身思っています。僕も鹿児島で、試合に出て活躍している姿を見せることで山形の子どもたちにも勇気を与えられると思うので、あの藤嶋栄介は鹿児島で頑張ってるんだぞという姿を見せて、山形の子どもたちにもしっかりキーパーを楽しんで頑張ってもらいたいなと思っています。

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