Dio-maga(ディオマガ)

〈Dio-maga〉インタビュー 汰木康也 エゴを出せるアタッカーに 《後編》

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モンテディオに関わるさまざまな人に世界観をお聞きする〈Dio-maga〉インタビュー。2回にかけて話を聞いているのは、プロ2年目の攻撃的MF汰木康也選手。アタッカーとして築き上げてきた自分と新たに気付いた一面。どちらの自分もバランスよく取り入れ、その先に描くアタッカー像を実現させる。
<後編>では汰木康也選手の武器となるドリブルの起源と、自身の描くアタッカー像について話を聞いた。

<前編>はこちら!
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■自分の武器だとは思ってなかったんです。

Q:汰木選手のサッカー人生の中で、ドリブルが自分の武器だと意識したのはいつ頃からですか?
「ドリブラーじゃなかったんですよね、僕。得意だったんですけど、それが自分の武器だとは思ってなかったんです。
マリノスユースに入るまではフォワードだったので、決定力を武器に、点をバリバリ取ってなんぼだみたいなフォワードっぽい意識がずっとあって、ゴール前でプレーすることが多かったですね。ゴール前で受けて前を向いて、今みたいに中に切り返してシュートを打ったり。でもそれ自体が武器だとは全然思ってなかったです」

Q:ユースに入ってサイドハーフでプレーするようになってからも?
「ユースの時はサイドで受けて仕掛けてからシュートも打ってたんですけど、スルーパスも結構出してて、1試合通して一回もボールを失わないでプレー出来たらと言うのは意識していました。
ユースの時の2つ上にいた熊谷アンドリュー君がそういう先輩で、ユースの試合ではボールを一度も取られないくらい違いを見せられていたんです。
自分もそれくらいチームの中心になって、パスを出したりゴールを決めたりアシストをするといった感じで、自分が起点になってチームのリズムを作る所を意識していたので、ガンガンにドリブルで仕掛けて崩してというのは無かったですね」

Q:汰木選手が得意な『ユルキゾーン』(ゴール左45度からのプレー)もドリブルが得意だからではなく?
「得意なプレーでしたけど意識はしてなかったですね。だってパスも好きでしたし。今も好きですけど。だからいつくらいからだろう、本当に山形に来て、『ドリブルで行け』と言われ始めてからかもしれないです。
山形に来て一番最初のキャンプの時に、石﨑監督から『お前はとりあえず仕掛けろ』って言われたんです。パスをするなと。ドリブルが武器だと意識し始めたのはそこからかもしれないですね」

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