浦レポ by 浦和フットボール通信

平川忠亮が今週木曜開催の引退試合を通じて伝えたい想いとは?

(Report by 河合貴子)

レジェンドOBも駒場に集結

プロ選手として浦和一筋17年間、現役を引退してからもコーチとして浦和に全身全霊を注ぐ平川忠亮さんにとって浦和とは「生まれ育った実家」のような地であった。平川さんは、静岡生まれの静岡育ちだ。選手として静岡のサッカーの名門である清水商業高校を経て、筑波大学卒ルーキーとして浦和に入団した平川さん。当時、清商時代のチームメイトであった小野伸二選手と一緒にプレーがしたくて浦和に加入を決めたが、小野選手はオランダのフェイエノールトに移籍した後であった。「せっかく浦和に来たのに、伸二がいないんだもん」とつまらなそうに残念な表情をしていたことをよく覚えている。平川さんが浦和に加入したキッカケは小野選手だったかもしれない。2人が再び同じピッチに立ったのは、2年間(2006年、2007年シーズン)だけであったが、小野選手が浦和を離れても平川さんの心は決して浦和を離れることはなかったのだ。

「本当に家みたいなもので、ここでプロとして生まれて17年、年々成長していくと共に、いろんな苦しいことや楽しいことを学びながら、チームと一緒に成長させてもらった。引退してからも、まだ浦和にいる。なかなか家を離れられない。温かい家にいつもいる。安心しちゃう実家かな・・・。ここしか知らないんで、ずっと家にいる」と、少し照れた表情を浮かべながらも「慣れにならずに、キッチリと貢献していかなければいけないって思っているし、伝えられる部分をキッチリと伝えていかなければいけない。自分の役割を持ってないといけない」と身を引き締めて話した。

将来の夢は、もちろん浦和の監督だ。プロサッカー選手としても指導者としても、平川の原点は浦和にあるのだ。浦和を「生まれ育った実家」と表現したことに、思わず納得してしまう。

2018年シーズンに現役を引退するまでの17年間で、公式戦450試合出場(リーグ戦336試合、ナビスコカップ・YBCルヴァンカップ67試合、天皇杯23試合、ACL24試合)を果たし、浦和と共に様々な経験を積んできた。浦和が栄光に輝いたときも、J2降格の危機にさらされたときも、平川は知っている。だからこそ、平川しかピッチで伝えられないことがある。それを使命と感じで今回の引退試合に挑む。

しかし、コロナ禍の影響で「参加させてくれ」と言っていたズラタンたちを呼び寄せることができず、さらに当初のイメージとは大幅に変わってしまったところがあった。「引退試合を非常に厳しいコロナ渦の中で開催するべきか悩んだ」と胸の内を吐露し「浦和でやって来たことの中で、失敗してもチャレンジし続けて、その先に栄光があったりとこのチームで学んできた。今回もピッチがチャンスじゃないけれど、こういったご時世だからこそ伝えられる部分があるんじゃないかな。世の中が暗い中で、楽しいことをやっても良いんじゃないかな。賛否両論あるが、その中で発信していくことにチャレンジしたい」と目を輝かせた。

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