日々雑感ー長澤和輝、彼が今の浦和で中軸を担う意味

フォーカスすべき選手

 Jリーグ第21節のサガン鳥栖戦を1-0で制して連敗を止めた浦和レッズは、それ以降も無敗を続けて復調を果たした。大槻毅監督に抜擢された選手たちはそれぞれの個性を十二分に生かし、それをチーム力へと還元させて確かな自信へと昇華させた感がある。

 ここ数試合の浦和はほぼメンバーが固定されている。2トップの興梠慎三&武藤雄樹のコンビネーションは流麗で、両サイドに立つ汰木康也とマルティノスは抜群の個人スキルで局面を鮮やかに打開する。キャプテンにして正守護神の西川周作はゴールセービングに加えて的確なコーチングも際立つし、バックライン中央で構える槙野智章はディフェンスリーダーとしての風格を醸し、相棒の岩波拓也も潜在的なパーソナル能力を表出するようになってきた。またサイドバックの橋岡大樹と宇賀神友弥は安定した攻守バランスでチームを下支えし、宇賀神の出場停止でチャンスを得た山中亮輔は第24節のセレッソ大阪戦で圧巻の左足決勝ゴールを叩き込み、その存在感を改めて示した。

 そして、個人的に今、最も注目しているのはチームの中心で尽力するセントラルミッドフィルダーの存在だ。エヴェルトンの影響力は言わずもがな。そして長澤和輝については、改めて彼の絶大なる影響力を目の当たりにした思いで、率直に感銘を受けている。

 現在、ドイツに住居を構えて取材活動を行っている身の筆者は、今の長澤のプレーから”ブンデスの香り”を感じている。

幾多の経験を糧に

 長澤のプレーを初めてこの眼で観たのは2013年初頭のミハイロ・ペトロヴィッチ監督体制2シーズン目、宮崎県総合運動公園でのキャンプトレーニングだったと記憶している。当時の彼は専修大学在籍の4年生で、来季のプロ入りを見越して幾つかのJリーグクラブのキャンプに参加していた。当時のペトロヴィッチ監督がトレーニングで長澤に科したポジションは3-4-2-1のシャドーで、彼は当時の浦和のチームスタイルだったハイスピードコンビネーションにすぐさま順応する素振りを見せて将来性を示していた。当然浦和スカウト陣は長澤を新卒獲得の最上位にリストアップしたが、結局長澤は横浜F・マリノスの強化指定選手を経た末に、当時ドイツ・ブンデスリーガ2部で早期の1部復帰を期していた1FCケルンへ加入した。

 ケルン時代の長澤のプレーは断片的にしか観たことがない。彼のデビューは2部のゲームだったし、1部昇格を果たした翌年の2014-15シーズンは開幕前に左膝靭帯断裂を負って長期離脱を強いられ、10試合しか出場していない。そして翌2015-2016シーズンは1試合の出場に留まり、このシーズン途中の2015年12月18日に浦和へ完全移籍し、すぐさまジェフユナイテッド千葉へ期限付き移籍している。
2015、2016年当時のペトロヴィッチ監督は長澤を専修大学時代に試したシャドーではなく、ボランチで起用する目論みがあったように思う。しかし”ミシャ式”におけるボランチはビルドアップ能力に長ける選手が重宝される傾向にあって、20、30メートル程度のミドルフィードが得意ではない長澤は、その役割に戸惑いを覚えていたと感じている。したがって彼は当時の体制下では持ち味を発揮できず、その本質的な力をピッチ上で表現できないでいた。しかし、堀孝史監督体制、オズワルド・オリヴェイラ監督体制に移り変わってからは状況が一変し、長澤はチームの中核としての立場を確立させていく。特に彼の能力が際立ったのはAFCアジアチャンピオンズリーグの舞台で、フィジカルに長けるアジア諸国クラブの選手に対して一歩も引かない局面強度で対抗し、チームの勝利に次々と寄与した。

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