【コラム】思い出の街、熱狂のスタジアム-第2回・埼玉県さいたま市(緑区)『埼玉スタジアム2002』
サッカーの楽しみはピッチ上だけにあるのではなく、訪れる街やスタジアムにも独特の空気感や雰囲気、そして大いなる魅力があると思っています。このコラムでは、これまで訪れた多くの街やスタジアムについて、そしてその場所で経験した出来事などを緩く、マイペースに綴っていきたいと思います。この文章を機に、皆さんが、これまで訪れた場所に思いを馳せることができたら幸いです。
埼玉県さいたま市(緑区)『埼玉スタジアム2002』
ここは真紅のスタジアム
正直に明かすと、当初は『埼玉スタジアム2002』に良い印象を抱いていませんでした。
その理由は幾つかあります。まず、さいたま市の緑区は美園地区と称される旧浦和市の東部に位置するのですが、当時は何もない更地にスタジアムだけがデンと鎮座していて、『街』としての雰囲気が感じられなかったんですよね。また『埼スタ』は、そもそも浦和レッズが事務所を構えていたJR浦和駅周辺からかなり離れた場所にあって、いわゆる『ホーム感』なる感情を抱けなかったのも、その理由として挙げられます。
また、スタジアムの形状も『もったいない』と思っていました。これに関しては今でもその思いを抱き続けたままなのですが、あれほど圧倒的なサポーターが集結するゴール裏に何故屋根がないのか。そしてサッカー専用スタジアムであるにも関わらず、スタンドとピッチの間に堀があることからサポーターと選手の距離が遠くなる点は承服できませんでした。もちろん、埼玉県が2002年の日韓ワールドカップの開催地招致を目指して建立した埼スタには安全面の配慮が必要だったのは確かです。また、適切な芝生の養生を維持するためには採光や通気性に配慮しなければなりません。そして屋根を設置するためには安定した地盤が必要なのですが、美園地区の土壌は少々緩く、現実的には工事のための大型クレーンの設営が難しいなどという判断もあって、四方に屋根を設置するのが憚れたようです。ただ、イングランドやドイツなどで箱型のスタジアムへ訪れて、その臨場感に感嘆のため息を漏らした身としては、もしサポーターの声援が反響する屋根の存在があったら浦和のホームが一層独特で荘厳な場所になるのにと、今でも強く確信しているのです。
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