【無料掲載】日々雑感−李忠成『慈愛に満ちた、浦和の選手』

真摯で誠実

 またしても、魂を込めて闘ってくれた選手が去っていく。

 イングランドでの苦闘とFC東京での雌伏へ経て、李忠成が浦和へやってきたのは2014年の冬だった。

「これまでの自分のサッカーキャリアの全てを浦和レッズのために注ぎたいと思っています。自分の力の全てを出して、タイトル獲得のため、チームに貢献できるようにがんばります」

 有言実行という言葉はチュンソンのためのあるのかもしれない。それほどに、この選手は浦和のために、いつだって、その身を全力で賭してくれた。

 プレッシャーを力に変えられる選手だった。

「僕はアルベルト・ザッケローニ監督体制の時に日本代表へ選出され、ザックは1トップで僕を先発起用しました。日本代表の1トップというのは、日本で何十万人、何百万人とサッカーをプレーする選手の中でたった1人に与えられるポジションですよね。それは凄いことで、プレッシャーと誇らしさを同時に感じたんです。『やってやるぞ!』という思いで、そのプレッシャーが逆に力になったんです。今、浦和ではその時と同じ気持ちでプレーできている。浦和のFWを務めることの意義、その誇りを胸に闘うことが、今の僕の原動力なんです」

 想いを正直に明かす。これほど真摯で誠実な人物はそういない。ポジティブなことだけでなく悔しさや反省の気持ちも赤裸々に吐露し、その情熱的な振る舞いが周囲の心を強く震わせ、彼は、そんな皆の想いをも背負ってピッチを駆けていた。

 チュンソンは他のプロサッカー選手に比べて足が速くないし、フィジカルも平均的に見える。横河電機のジュニアユースからFC東京U-18に加入し、そのままトップチームまで駆け上がってプロデビューを果たしてからの彼は2トップの一角、もしくは1トップというチームの最前線でプレーするFWだった。彼のストロングポイントは左足と頭を駆使したワンタッチアクション。特に面で合わせるボレーは絶品で、様々な角度から自らへ向かうボールを確実に捉えて相手ゴールへ入れ込む技術はJリーグでも屈指の力を誇った。そんな中、2009シーズン途中に当時在籍していた柏レイソルからサンフレッチェ広島へ移籍した際に師事したミハイロ・ペトロヴィッチからシャドーポジションを任されると、彼の能力がさらなる覚醒を果たす。常にゴールへ向かう生粋のストライカーが、抜群のコンビネーションを発揮するチームワーカーの素養をも備えたのだ。連係、連動を旨とする“ミシャスタイル”は、彼をプロサッカー選手の高みへと引き上げてくれた。

 “相棒”たちとの出会いも彼の力を最大限に引き出した。個人的に商業的な略称は好まないのでこれまでほとんど記述してこなかったが、興梠慎三、李、武藤雄樹の頭文字から取った“KLM”の攻撃力は凄まじかった。まるで身体全体、360度広角な眼を有しているかのように、3人はそれぞれの頭の思考と身体の挙動を完璧に把握していて、寸分違わぬ入射角度でボールを受け渡し、それぞれの個性を際立たせた。

 2017年2月21日、南半球オーストラリア・シドニーでのAFCアジア・チャンピオンズリーグ・ウェスタン・シドニーとの一戦で興梠の先制点をアシストしたチュンソンのパスは絶品だった。試合後、彼が語った言葉を今でも鮮明に覚えている。

「ピッタリ。(興梠)慎三に足元に合わせるようにパスを出しました。バスケットボールで『アリウープ』ってプレーがあるでしょ? 空間にパスを出して、そこからボールを受けてダンクシュートを決めるやつ。そのイメージでパスを出しました。1ミリもずらさずにパスを出せれば相手DFは防げない。慎三と俺は以心伝心、阿吽の呼吸ですから。今はどんな相手にも止められない自信がある」

 自らのプレーパフォーマンスに絶大な自信がある。仲間との意思疎通も申し分ない。それなのに、彼はチーム構成や戦術、戦略などの多岐に渡る事情からスタメンを外れるゲームも多く、少なからずジレンマを抱えてきた。それでも、そんな焦燥に駆られる日々の中でも、彼はひたすら闘志を燃やしてチームへの忠誠心を露わにし、懸命に結果を追い求めてくれた。

「浦和サポーターから期待の声や手紙をもらうんです。もちろん厳しい声も……。ただ、これははっきり言えるんですけども、厳しい声は3割くらいで、あとの7割は『浦和のために頑張ってくれ』という叱咤激励の声なんです。それは本当に僕の支えになっています。その声に応えたい。その期待に100パーセントではなく、120パーセントの気持ちで応えたい。ただサッカーをしているだけではダメなんです。特に僕の場合は、鞭で叩かれて崖っぷちに追いやられた方が力を出せる。反骨精神や悔しさを力に変えられる。僕は、そんな選手だと思っています」

勝負所で光り輝く選手

 大一番、大舞台、正真正銘のタイトルマッチ、誰もがゴールを希求する究極の局面で、李忠成のプレーは眩いばかりの光を放った。

 2011年1月29日、カタール・ドーハ・ハリーファ・ナショナルスタジアム。アジアカップ決勝戦のオーストラリア戦で延長前半9分から途中出場し、長友佑都のクロスを左足ボレーで叩き込んで日本を史上4度目のアジア制覇へと導いたゴールは、誰もが知る彼のスーパープレーだ。しかし、浦和レッズのサポーター、ファンは日本代表での勇姿ではなく、彼が赤いユニホームを身に纏って全力を尽くしたプレーの数々に思いを馳せるだろう。

 2015年12月29日、東京・味の素スタジアム。天皇杯準決勝の柏レイソル戦で値千金の決勝ヘディングゴールを決めた直後。彼は広島時代や日本代表時の代名詞だった弓を引くゴールパフォーマンスではなく、誰よりも速く自らを支えてくれたゴール裏スタンドへ駆けて両拳を突き上げ、“仲間”と共に雄叫びを上げた。

 2016年5月25日、韓国・ソウル・ソウルワールドカップスタジアム。ACLラウンド16第2戦は日本と韓国のクラブが互いに気力を尽くした激闘となった。崔龍洙監督率いるFCソウルは強大で不屈で、浦和は何度も絶体絶命の死地に立った。前半に先制を許した浦和は第1戦との合計で1-1のイーブン。そのまま延長に入るとソウルに2点目を決められ、ここで万事休したかに思えた。しかし、112分に迷いなく打ち込んだチュンソンのヘディングシュートで1点を返すと、その3分後には再び彼が必殺の左足ボレーを突き刺して試合をひっくり返した。結局浦和は延長後半アディショナルタイムに追いつかれてPK戦の末に敗れたが、この時のチュンソンは、その熱きプレーで、諦めること無くひたむきに戦えば必ず道は拓けることを証明してくれた。

 2016年10月15日、埼玉・埼玉スタジアム2002。タイトルまであと一歩まで迫りながら宿願を果たせないミシャ体制の浦和が、天敵・ガンバ大阪と雌雄を争ったYBCルヴァンカップ決勝。相手に先制された浦和はまたしてもタイトルマッチで屈するかに思われたが、76分に交代でピッチへ入ったチュンソンが柏木陽介のCKを受けて必殺のヘディングシュートを炸裂させ、同点に追いついた。彼が埼スタ北ゴール裏の前で右手の人差し指を天に掲げた時、待望し続けた浦和の戴冠成就を誰もが確信した。

 2017年5月31日、埼玉・埼玉スタジアム2002。韓国Kリーグ・済州ユナイテッドとのACL決勝トーナメントベスト8を懸けた一戦。第1戦のアウェーを0-2で落としてビハインドを負っていた浦和は18分に興梠のゴールで先制して意気上がる中、34分にチュンソンが興梠、武藤とのスーパーコンビネーションからゴールをねじ込み2戦合計でイーブンに戻した。森脇良太のゴールで試合を3-0で終えて逆転でベスト8進出を果たしたチームはその後、2017シーズン以来10年ぶり、クラブ史上2度目のアジア制覇へと到達する。チュンソンはいつだって、このクラブに、チームに栄光への道筋を指し示してくれた。

 2018年12月27日。クラブから契約更新の打診を受けなかったチュンソンは、5年に及ぶ浦和での日々を振り返りながら、新たなる挑戦の場への旅立ちを決意した。

「お世話になった浦和レッズのファン・サポーターのみなさまにご報告があります。

 2019シーズンから、横浜F・マリノスに移籍することになりました。

 本当に浦和レッズの全てに感謝しています。5年間ありがとうございました。

 僕にとって5年間在籍した浦和レッズは『愛』の溢れた偉大で、すばらしいチームでした。たくさんの愛を与えられ、正直最初はその受け取り方、返し方に悩んだ時期もありました。しかし、いつしかその愛に真摯に向き合うことで、僕は浦和の一員として大きな幸せを感じていました。 浦和での5年間で掛け替えのない多くの感動、歓喜を、ファンのみなさん、サポーターのみなさん、チームメート、レッズに関わる全ての方々と共有できたことをとても誇りに、幸せに思います。 

2019年もそんなチームでみなさんと共に戦い、Jリーグ・ルヴァン・天皇杯・ACLと全てのタイトルを獲り、また喜びを共に分かち合いたかったのですが、残念ながらレッズからの契約更新はありませんでした。 

 サッカー選手として次に進む道を考えなければいけない中、複数のクラブのお話の中から横浜F・マリノスの一員として共に戦うことを決めました。

 僕は、サッカーが好きです。体が動かないと自覚するそのときまで僕はサッカーをやっていたい。1パーセントの妥協なくサッカー選手として日本一に向かって全力でプレーするのみだとそのとき決意しました。

 1人でも多くの人たちと夢をみるすばらしさと、実現する喜びを共有できたら嬉しく思います。 本当にこの5年間すばらしい時間をみなさんと歩めたことを幸せに思います。ありがとうございました」

 情熱と、思いやりと、気遣いと、何よりも自らを支えてくれた人たちへの慈愛に満ちた言葉の数々。チュンソンは嘘がつけない男だ。彼は心から浦和を愛し、全力を尽くし、貴重なタイトルをもたらし、何よりも浦和に関わる全ての者達に、かけがえのない団結心を植え付けてくれた。

 思い起こすたびに心の中で蘇る彼の勇姿に思いを馳せながら、これからも続く彼のサッカー人生に最大限のエールを送りたい。

(了)

 

 

 

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