日々雑感『山田直輝−再び、真紅のクラブで』

浦和で育った

 父親が日本サッカーリーグでプレーした選手だったから、物心が付いたときにはすでにサッカーボールを蹴っていた。周りの友だちは滑り台やジャングルジムが置かれた公園で遊んでいたが、ボールを蹴り飛ばしたい彼にとっては遊具なんて邪魔で、何もない原っぱで、ひとりでボールと戯れるのが何よりも楽しかった。

 家族が転勤生活を送っていた事情で広島で生まれたが、生後8か月で埼玉県の浦和市(現・さいたま市浦和区)に引っ越してきたから生粋の『浦和っ子』だと自負している。5歳のとき、広島生まれの母親の実家へ帰省したときに、たまたまビッグアーチ(現・エディオンスタジアム広島)でJリーグの試合があったから父親と3歳上の兄と一緒に観戦した。父親はサンフレッチェ広島の前身であるマツダ自動車工業に勤めていて、かつては同社のサッカー部に所属していたから、その縁もあって試合後にロッカールームへ連れて行ってくれた。でも彼の関心はホームのサンフレッチェにはなく、その視線は対戦相手の浦和レッズへと注がれていた。彼からすれば”我らがチーム”とはレッズのことで、当時のアイドルはエースストライカーの福田正博だった。レッズのロッカールームで憧れの『福田さん』と対面して握手を交わしたことは今でも大切な思い出で、そのとき抱いた感動は今でも心の中に携えている。

 駒場スタジアムでホームゲームがあるときは、よく試合を観戦した。友だちの父親がシーズンチケットを持っていて、たまに空きが出たときに友だちに誘われて行った。その席はメインスタンドの左寄りで、ピッチの角に近い場所だった。試合前には最前列の柵まで走り寄ってウォーミングアップするGKの山岸範宏(北九州)に声援を送ったし、アンジェイ・クビツァ(2000シーズンに在籍)がゴールしてコーナーフラッグへ走り寄ってきたときは間近で彼の姿を見られて本当に興奮した。

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