【無料掲載】日々雑感ーその身を賭してー平川忠亮

Text&Photo by Hidezumi SHIMAZAKI

灯火は消えたのか

 2016年4月24日、曇。川崎フロンターレと浦和レッズのゲームを自宅のテレビで観ていた。躍動する仲間のプレーを、純粋に凄いなと思った。武藤雄樹が果たした決勝ゴールは究極のコンビネーションから生まれた。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督体制が発足した2012シーズンから足掛け4年、チームは着実に成長を遂げ、タイトルを得るに相応しいチームになったと確信した。

でも、その輪に自らがいない。等々力陸上競技場にも向かえず、自宅で佇んでいる。プロサッカー選手として、この境遇に甘んじるのは忸怩たるものだ。それでも平川忠亮は笑顔を浮かべてこう言った。

「自分がメンバーに入れないのは、他の選手の方が上手いからですよ。監督の采配や自分の年齢が理由じゃない。ピッチに立ちたかったら他の仲間よりもチームに貢献できる点を示さなきゃならない。単純な話ですよ。単純な話」

 

2002シーズンに筑波大学から浦和レッズへ加入した。物怖じしない選手だった。同期の坪井慶介と一緒に用具を片付けていると、先輩が後輩に指図しているように見えた。

『ツボ、これも片付けとけよ』

それを聞いた坪井は、満面の笑みを浮かべて呼応した。

『はい! 分かりました! 平川先輩!』

何故、浦和でのプロ入りを決めたのかと問われると、彼は本人が目の前にいるのにこう言い切った。もちろん冗談めかして。

「右サイドにヤマダ(山田暢久)ってのがいるでしょう?(笑) そのヤマダっていうのに勝てば日本の右サイドでナンバーワンになれるって思ったからです、はい」

それを聞いた山田暢久(現・浦和スカウト)は「どうぞ、どうぞ。俺はトップ下でプレーしたいから」と返し、それを聞いた平川は、「俺、遠慮しないからね」と言った。

ケガの多い選手だった。駒場スタジアムの関係者席で仲間の勇姿を見つめることが多かった。一度だけ隣で一緒に観戦したことがある。彼は90分間一度も声を発さずに試合を観ていた。そしてチームの敗戦を見届けると、小さな声で呟いた。

「全然駄目だね。でもケガして試合に出られない自分は、もっと駄目。全然駄目」

悔しさが滲み出ていた。

20代の平川忠亮を知っている。誰よりも負けず嫌いで、好戦的で、プライドの高い選手だった。しかし若き日の彼は己を律せず、プライベートで羽目を外して時の指揮官、例えばハンス・オフトによく説教を受けていた。その様子を見ていて、同期の中で最も早く現役を終える選手だと思った。しかし、こちらの見立ては間違っていた。

2002シーズンの浦和の新卒選手を列挙してみる。

坪井慶介(福岡大)、山根伸泉(国士舘大)、堀之内聖(東京学芸大)、三上卓哉(駒澤大)、小林陽介(浦和ユース)、東海林彬(庄和高)、徳重健太(国見高)、南祐三(西武台高)、長谷部誠(藤枝東高)。

このうち、今もJリーグでプレーしているのは坪井(湘南)と徳重(神戸)のふたりだけ。長谷部は2008年初頭にドイツへ旅立ち、今も浦和でプレーを続けているのは平川ただひとりだ。

共に戦ってきた仲間は次々にチームを去っていった。他クラブへ移籍した者、現役を引退した者もいる。清水商業高校時代の盟友・小野伸二も浦和を離れ、今は北海道の札幌にいる。

川崎のゲームを自宅で観戦した時の想いを本人から聞いた時、彼は引き際を考えているのだと理解した。かつて放散していた野心はもう宿らない。諦めとも取れる心情に、時代の移り変わりを感じた。

2016年7月16日、曇。大宮アルディージャとの『さいたまダービー』を翌日に控えた練習中のミニゲームで、相手と交錯した平川が倒れ込んだ。ひとりでは立ち上がれずにクラブハウスへ引き上げる。診断の結果は左足関節の重度の捻挫だった。

チームメイトが灼熱のピッチで精力的にトレーニングに励む中で、平川が悠然とピッチに現れてリハビリメニューをこなしている。遠目からはどんなトレーニング内容なのかが掴めない。野崎信行トレーナーと一緒にグラウンドへ出てきたかと思えば、踵を返して筋力トレーニング施設へ戻っていく。この日は気温が35度を超える猛暑日だったため、少し茶化して声を掛けてみた。

「ヒラ、暑いからってクーラーの冷たい空気を浴びに何度も部屋に戻ってるんじゃないよ(笑)」

『えへへ』と笑った彼と共に、野崎トレーナーも返答する。

「ホントにね〜(笑)。もう、おっさんにはこの暑さはもたないから、こうやって涼みながらトレーニングしないと倒れちゃうのよ(笑)」

実際は違った。灼熱のピッチでダッシュを続け、すぐさま室内で足首に負荷を与えるメニューを何度も消化していた。不断の努力は傍目には見えない。

「野崎さんはね、俺のかけがえのないパートナーだって思ってる。プロ入りしてからずっと、もう15年か。何度もケガをしてきた俺を見てくれて、野崎さんは俺以上に俺の身体を知ってる。だから野崎さんの言うことを聞いてれば、必ず俺をピッチに戻してくれる。信じてる。託してる。それが、俺がここで戦い続けられている理由でもあるから」

黙々と走っている。チームメイトが練習を終えた後に大原のピッチに出てきて、下を向いてステップワークをこなしている。闘志という名の灯火を消した選手が、これほど自らを追い込んだりしない。自らの不見識を恥じた。彼の眼はまだ、若き頃と同じく煌々と輝いている。

 

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