伊藤涼太郎インタビュー(1)【My Story〜僕の歩んできた道】
パスに魅力を感じた少年時代
僕の生まれは大阪府大阪市の東住吉区というところで、セレッソ大阪の本拠地である長居スタジアムまで電車で5、6分のところです。長居スタジアムがある長居公園には友だちとよくボールを蹴ったり、ランニングをしに行っていました。
僕には姉がひとりいて、ふたり姉弟です。姉は僕の5歳上です。姉が小学校6年生の時に僕が1年生。姉との仲は、子供の頃はよく一緒にいて、喧嘩もよくしていました。でも、大きくなるにつれて話す回数も少なくなってきましたね。また、僕は高校から寮生活を始めたので、なかなか会えなくなりました。ただ僕の誕生日にはメッセージをくれたり、僕が浦和レッズでプロデビューした時は『おめでとう』とラインをくれましたよ。姉も僕のことを気にかけてくれているんだと思います。
僕がサッカーを始めたきっかけは、うーん、何だったんだろう? 当時は保育所に通っていたのですが、そこでサッカーボールを蹴っていたんだと思います。それと、日本と韓国で開催されたワールドカップの影響があったのかもしれません。僕自身は記憶がないのですが、僕が4歳の時に2002年の日韓ワールドカップがありましたから。母親や保育所の先生からは、『保育所に来ると、いつもサッカーボールを蹴っていた』とは言われていました。それがきっかけで、後に母親がサッカー少年団に通わせてくれたんだと思います。
東住吉区はそれほどサッカーが盛んではなく、強いチームもなかったと思います。でも、プロまでは行かなくても本気でサッカーに取り組んでいる方は多かった。僕が最初に入ったクラブは『ジュニアクラブ』というところです。ただ、そこでは日本サッカー協会に登録してプレーせず、単純に遊びの一環として入ったクラブだったと思います。その後、ちゃんとサッカー協会に登録してプレーしたのは『AVANTI KANSAI FC』というクラブでした。実家近くにあった『AVANTI城南SC』というクラブの指導者の方から、支部である『AVANTI KANSAI FC』の方が強豪だと聞かされて、わざわざ実家から車で40分くらい掛かるクラブへ通うことになりました。
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