【無料記事/島崎英純】日々雑感—青の戦士—原口元気(2015/11/3)

オリンピア・シュタディオン

オリンピア・シュタディオンへ向かうSバーンの車内が青く染まっていく。ヘルタ・ベルリンのチームカラーは青と白で、ユニホームを纏ったサポーターがビール瓶を片手に大声で話している。普段のドイツ人は思慮深く秩序立っているが、サッカーの試合前ともなると陽気に、情熱的に騒ぎ、今から始まる『お祭り』に心を躍らせている。

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オリンピア・シュタディオンからスタジアムまでは、紅葉が深まり黄色く染まった木々の中を歩く。男性集団は相変わらずアルコールを燃料にして大騒ぎしているが、その列に混ざってうら若き女性たちや、家族全員でサッカー観戦に訪れる方々もいる。ドイツ・ブンデスリーガはフーリガンなどの問題をいち早く払拭し、観戦環境の改善、ホスピタリティの充実に務めてきた。現在のブンデスリーガは、どのスタジアムでも安全快適に過ごせる娯楽の場として捉えられ、男性はもちろん、女性、子ども、そして家族全員が集い、それぞれが楽しみを見出してサッカーと触れ合っている。

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スタジアムへ向かう道中で5人家族が前を歩いていた。先頭ではお母さんとお姉ちゃんがスキップしながら「早く、早く!」といった調子で進んでいる。そしてその後方から、お父さんとふたりの男の子が手を繋ぎながら歩いている。長男と次男であろう男の子ふたりは満面の笑みを浮かべながら父親と談笑し、これから始まる新緑のピッチ上での素晴らしいプレーの数々に思いを馳せている。そんな光景を見せられたら、他人である自分も嬉しくなってしまう。

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スタジアムの道中に軒を連ねる屋台で売られるビールは500mlで2ユーロ(約260円)と、ビール好き(私のことだ)にとっては天国のような安さだ。約30cmものソーセージを挟んだパンやマヨネーズをたっぷりかけたポテトフライと共にビールを流し込めば、本当に天国まで辿り着いた気分になる。それでも周りにゴミひとつ落ちていないのはさすがドイツで、ラッパ飲みしたビール瓶を収める専用のゴミ箱に、瓶が割れないようにそっと置く酔っぱらいの姿が滑稽で笑いを誘ってしまう。

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オリンピア・シュタディオンは1936年のベルリン・オリンピックのメイン会場として建立された、76,243人収容の巨大スタジアムだ。ただ、ここは陸上競技場兼球技場であるため、ここを訪れる前まではスタンドからピッチまでの距離が遠いだろうと思い、あまり期待していなかった。しかし、それは浅はかな考えだった。コンコースからスタンドへ足を踏み入れた瞬間、チームカラーである青のスタンドが圧迫感をもって目に飛び込み、陸上トラックがあるにも関わらず、ピッチが浮き上がるように目前に迫ってきた。確かにここには陸上トラックがあるが、そのトラックからスタンドの間に余計なスペースがない。だから純粋な距離としては、埼玉スタジアム2002のスタンドとピッチまでの距離とほぼ同等なのかもしれない。

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メインスタンドから向かって右側のゴール裏がホームのヘルタ・ベルリンサポーターが陣取るサイド、そして左側のゴール裏が今回のアウェーチームであるボルシア・メンヘングラッドバッハ(以下、ボルシアMG)のサポーターが詰めかけるサイドだった(浦和の埼玉スタジアムとは逆)。ボルシアMGのチームカラーは緑と白と黒で、サポーターはメイン色の緑のキットを身に纏っている。ドイツのサポーターは日本のJリーグのサポーターと相似性がある。それはホームスタジアムだけでなくアウェースタジアムにも大挙集うこと。そして自宅から必ずホームチームのユニホームを着て公共機関に乗り、町中を闊歩することなどである。

ただし、日本では見られない興味深い光景もあった。ヘルタのホームであるオリンピア・シュタディオンのコンコース内に、何とボルシアMGの各種アイテムを売るブースがあるのだ。正直商魂逞しいと思ったし、お互いのサポーター同志で敵対心剥き出しのイングランドなどでは考えられない発想だなと感じた。それだけドイツの人々は合理的な思考を持ち合わせているのだろう。

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選手が入場してきた。スタジアム内のボルテージが最高潮に達する。選手たちがピッチへ散らばる。メインスタンドから目を凝らすと、青と白のキットを着た背番号24は遠く右サイドで両手を腰に付け、臨戦態勢に入っていた──。

様々な役割を与えられた原口

原口元気(以下、元気)は疲れていた。ボルシアMG戦の4日前にドイツカップ戦のDFB Pokal2回戦が行われ、ヘルタはアウェー戦でFSVフランクフルトと対戦し、延長戦の末に2─1で勝利していた。元気はその試合で先発出場し、延長後半の12分に交代するまで117分プレーしていた。しかしそれでも、彼の気力はまったく萎えていないように見えた。全速力で敵陣へ駆けてアタックを仕掛け、ピンチの際には同じく全力疾走で帰陣して防御姿勢を取る。

その役割は多岐に渡る。この日のゲームではスタートが右サイド、試合途中に2トップの一角へシフトし、後半途中からは左サイドへポジションを変えた。ヘルタのパル・ダルダイ監督は今季、これまでのリーグ戦全試合に元気を出場させ、最近は10試合連続でスタメンに抜擢し、この日も当然彼を最初からピッチへ送り出してきた。ダルダイ監督の元気への評価は「攻撃のユーティリティプレーヤー」とのことで、ボルシアMG戦だけでなく、他のゲームでも彼を様々なポジションで起用している。浦和レッズ在籍時代に左サイドのポジションに固執し、1トップやシャドーでのプレーに苦悩の色を滲ませていた時代を思えば青天の霹靂でもある。

しかし、この日のヘルタはチーム全体が低調だった。ボールが前に進まないのはボルシアMGが仕掛ける積極的な前線守備と高速トランジション、そして流麗な連係からの攻撃構築が秀逸だったからだ。元気が興味深い事を言った。

「メンヘンは、これまで対戦した中で一番強いと感じた。もちろんバイエルンやドルトムントなど、破格なチームもあるよ。でも、このふたつは選手個人の力が抜けてて、局面勝負での強さが全面に押し出されている感じ。でもメンヘンは、もちろん個人の技術も高いけど、そこそこ上手くて強い選手を集めて、チームとしての強さを求めてる感じ。俺は、こういうチームのほうが凄いと思うし、対戦すると『嫌だな』と思う」

ボルシアMGは昨季のブンデスリーガ3位、UEFAチャンピオンシップ出場権獲得という快進撃から一転、今季開幕からリーガで開幕5連敗を喫していたが、そこから巻き返して5連勝し、勝率を五分に戻していた。かたやヘルタも今季は5勝2分3敗で上位に位置し、UEFAヨーロッパカップ出場圏内を維持するなど、好調を持続していた。

しかし原口にしてみると、ヘルタとボルシアMGには地力の差があるらしい。確かにDFB Pokal開催による過密日程を指摘してしまうと、ヘルタが4日前の火曜日に試合を行ったのに対し、ボルシアMGは3日前の水曜にDFB Pokal2回戦を戦い、シャルケに2─0で勝利している。相手のほうが厳しいスケジュールで臨んでいるのだから言い訳はできないわけだ。

試合は4─1でボルシアMGが勝利し、ヘルタは完敗を喫した。今季ブンデスリーガ前半戦残りは6節。近年のヘルタは前半で好調も、ウィンターブレイクを挟んで1月下旬から再開されるリーガ後半戦では失速する傾向がある。今季も、彼らの正念場はこれから訪れるかもしれない。

成長した姿を見せている

元気は、落ち着いた佇まいを漂わせていた。もちろん言動はこれまで通り勝ち気だが、人の話をよく聞き、深く頷き考えを巡らせるようになった。よくよく考えて見れば、これまでの彼も人の意見に耳を傾け、自身の成長に繋げる聡明さがあった。しかし、ここベルリンでは言語の問題もあって、今まで以上に敏感で的確な所作が求められる。

プロサッカーは弱肉強食の世界で、少しでも気を抜けば簡単に立場を失う。それは今年の夏まで同僚だった細貝萌(ブルサスポル/トルコ)が新天地を求めてレンタル移籍したことからも理解できる。原口も細貝ほどではないが、最初はダルダイ監督から評価されなかった。それでも腐らず黙々と練習に打ち込むことで、彼は確実にステータスを高めた。

元気の良い所は立ち止まらないことだ。高い理想を備え、何かを達成した時、また次のハードルを設定する。今はヘルタのスタメンとしてチーム内の序列を定めた。だが試合出場するだけに満足しない彼は、自らのプレースタイルや、スピード、パワーなどの基礎フィジカルの課題点を口にする。

「試合観てて、どう思った? こっちは、攻撃的な選手はそれほど凄いと思わないんだけど、とにかくGKとセンターバックの実力が断然高いと思った。CBの連中は何処からでも足を伸ばしてくるし、少しでも油断してると身体をぶつけられてふっ飛ばされちゃう。それとGKは、とにかく身体がデカイからシュートコースが全然見えないんだよ。そんな経験、日本ではしたことなかったから最初は戸惑ったよ。今は大丈夫だけどね」

『今は大丈夫だけどね』と強がるところが彼らしいが、その言葉には経験に裏打ちされた説得力が伴っている。ボルシアMG戦の元気はシンプルにワンタッチではたくプレーが多く、特定のエリアに留まって足下でボールを受ける浦和時代のような『ワンエリアプレー』をしなかった。何より、後半途中から得意の左サイドにポジションを移しても、彼は必殺のカットインプレーを一度も見せなかった。

「どうなんだろうね。自分では今でもカットインしたいと思ってるけど、チーム事情もあるから。例えばボルシア戦の前半は俺が右サイドで、中央には味方の2トップがいた。そうなると、俺がボールを持って中央へ入って行っちゃうとゴール中央にFWが3人も密集して身動き取れなくなっちゃうでしょ。そりゃあ点を取りたいからサイドから中に行きたいけど、そうもいかない。それは考えながらプレーしてるよ」

浦和時代は中央に味方選手が何人いようとも唯我独尊の如くカットインを連発していた。しかし、今は違う。チームプレーに徹し、その上で自身のストロングポイントを標榜する。以前の元気も魅力的だったが、周囲を見渡して最適なプレーを選択する今のプレースタイルも光り輝いている。

精神的にもたくましい

プライベートでの元気は、充実した時を過ごしている。ドイツ・ベルリンでの生活に不自由はない。今では自家用車を運転して好きな場所へ行けるし、ドイツ語も少しずつ上達していて、町中のレストランでは店員とドイツ語でコミュニケートしている。

巷では、浦和時代でもチームメイトだった細貝の世話になったというニュースが流れた。これは半分合っていて、半分間違っている。確かに元気と細貝は心が通じ合っていたし、お互いを尊重し、支え合っていた。しかし、だからといって細貝が原口の世話にかまけてプレーの調子を落としたなどという見立ては承服しがたい。ふたりは同じマンションに住んでも居なければ、居住地も離れた場所にあった。毎日一緒に行動していたわけでもないし、日本人同士で固まって、チーム内でふたりだけのコミュニティを形成していたわけでもない。細貝は元気のことを、こう言っていた。

「もちろん俺は浦和時代から元気のことを知っていたから、できるだけサポートしてあげようと思っていた。でも、だからといってべったり一緒にいるのは彼のためにも良くないし、そもそも元気自身がそれを望んでいなかった。アイツは思ったよりもしっかりしているんですよ。何でもひとりでできるし、心細そうな態度を示すこともない。俺にできることなんて限られてますよ。お互い、プロのサッカー選手なんだからね」

今の元気には、細貝と同じく様々な仲間がいる。チーム内ではドイツ人や他の国籍の選手と分け隔てなくよく談笑する。日常では、元浦和レッズユースの同期がベルリン近郊でサッカーに携る仕事をしているため、連絡を取り合って頻繁に会っている。自宅では大型犬を飼い、『彼』と公園に繰り出して戯れると仕事のストレスが吹き飛ぶ。そして何より、今の彼には長年寄り添い、この度晴れて入籍した、かけがえのない伴侶が傍に居る。

「今日ね。彼女が運転したいっていうから、させたんだけど、全然ダメなんですよ。落ち着かないでキョロキョロしてるし、変なところを走るし。だからもう、運転させない」

文句を言いながらも、どこか楽しげだ。以前の彼は口を尖らせて不満ばかり吐き出していた印象があるが、今の彼は内面に炎を宿しながらも、穏やかな態度を崩さない。

元気はプロサッカー選手の矜持を兼ね備えている。夜遅くまで出歩かず、酒もタバコも嗜まず、ゲームに合わせたサイクルで時を過ごすのを当然の事と理解している。

「メンヘン戦の後は、連戦もあって珍しく2日連続のオフになったんだ。でも初日はゆっくり休むけど、2日目はクラブハウスへ行って自主トレするよ」

元気は所属するクラブのために、チームのために闘う気概を兼ね備えている。それはかつて、浦和の赤いユニホームを身に纏った彼の姿を追ったサポーターの方々ならば十分に理解できるだろう。

「今の俺はヘルタの選手。俺、あのオリンピア・シュタディオンの雰囲気、好きだよ。サポーターの熱気、声援、スタンド、ピッチ、全部好きだよ。埼玉スタジアムでもそれは同じだった。皆の声援を受けながらプレーする。それが俺の喜びだし、生きている証になるんだよ」

今の元気は『青の戦士』だ。どんな時でも全力を尽くしてピッチを駆ける。だから彼が所属するチームのサポーターは、彼の想いに共鳴して心を焦がす。

レッズでもヘルタでも、原口元気という選手は不変の存在でピッチに立ち、その魅力を放散している。

2015.11.3
Hidezumi Shimazaki, in Berlin,Deutschland.

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