3月11日によせて(1) DF 16 吉野恭平
ベガルタ仙台は来たるJリーグ再開の日に向け、トレーニングを継続中。コロナウィルス感染拡大を防止するため、練習については一般非公開で、報道陣の現場取材も2月28日以来許可されていない状態が続く。
その中で、2011年3月11日の東日本大震災発生からもうすぐ9年が経とうとしている。ベガルタ仙台はこの日に限らず、被災地のクラブとして活動している。今季は選手を代表し、宮城県出身の3人からのメッセージ動画が、報道資料としてクラブから提供された。これは事前に報道陣でまとめた質問に対し、返答する形式。そこで当【仙蹴塵記】でも、3回に分け、彼らのコメントをお届けする。なお、掲載したコメントはなるべく発言どおりに起こしているが、言葉の体裁を整えるために言い方など一部編集していることをご了承願いたい。
第1回は、今季に仙台へ加わった、吉野恭平。仙台市出身で、地元のACアズーリで中学までプレー。子供の頃はユアテックスタジアム仙台にも応援に駆けつけていたという。高校生のときは東京Vユースに所属し、同トップチームに昇格。広島を経て今季仙台へ加入し、ここまで公式戦2試合に出場している。
震災発生当時は東京Vユースに所属していた吉野は、トップチーム昇格後の2013年12月に日本プロサッカー選手会主催のチャリティーサッカー(宮城県内でのふれあい活動、ユアテックスタジアム仙台でのチャリティーマッチ)に参加。今年の1月4日には元仙台の田村直也氏らとともに子供たちとのサッカー教室をするなど、被災地のための復興支援活動にも力を注ぐ。その彼からの言葉を、以下で紹介する。
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