「柏フットボールジャーナル」鈴木潤

大谷秀和「僕はここが、このチームが大好きで、柏レイソルのために戦ってきました」【会見コメント】

○大谷秀和

−今日は途中出場で15分ほどプレーしました。これまでと変わらない気持ち、テンションで入れましたか?

「そうですね、皆さんからの期待に応えるコメントではないと思いますけど(笑)、いつもどおりというか、状況的にも負けていましたし、なんとか同点に早く持っていけて、そこから逆転にできればと考えていたので、感傷に浸るとか、そういう感じではなかったです。あくまでいつもどおりです」

 

−最後の日立台のピッチ。

「現役最後の試合を、ここで育ったわけなので、日立台でプレーして終えられたのは本当に幸せでしたし、セレモニーでも話をさせてもらいましたけど、正直な気持ちを言えば、皆さんの歓声、応援を聞きたかったというのが正直な気持ちです」

 

−セレモニーではサポーターがコレオグラフィを出してくれました。

「予想もしていなかったですし、映像のクオリティも高く、思いがけない人からのメッセージもあって、自分が話をする前にハードルを上げられたなと思いましたけど(笑)、自分のためにそういうふうにたくさんの方が動いてくれて、本当にありがたかったです」

 

−プロサッカー選手を終えた、今の心境。

「実感ないですけど、家に帰って一人になったら…まぁ一人になる時間はないですけど、家になって横になった時に感じるのかなと思いますね。あまり今は実感ないですけど、引退すると決めてからチームメートと話をして、僕の中で勝手に気持ちに的にスッキリして、引退しますということをサポーターに伝えたことでスッキリしましたし、自分の中で勝手にスッキリしたなというのがあるので、これから次の道に向けて楽しみではありますね」

 

−簡単に振り返ることができる時間ではないですけど、20年を振り返った時に、真っ先に思い浮かぶことはありますか?

「やっぱり優勝した、タイトルを取った瞬間は本当にはっきり覚えていますし、その前後の試合だったり、シチュエーションだったり、その雰囲気だったりというのは、今でもよく覚えています。タイトルを取れて本当に幸せだったと思いますし、でもそれと同じように降格したこともはっきり覚えていて、僕は3回降格して、運良く全て1年で戻れましたけど、本当にサポーターにとっては辛い、選手にとっても辛いし、チームにとっても辛い出来事なので、この先、レイソルに関わる選手たちが2度とそういう思いをして欲しくないと思いますね」

 

−20年間やれた要因や、貫いてきたことはありますか?

「2、3年で辞めると思っていたので(笑)、ここまでは想像していなかったですけど、僕が入った時に一回り上の選手を見て、よくやっているなと思って見ていたり、そういうふうに自分が思っていた人たちより上の年齢までやっていることが本当に驚きでもあります。ただ、1年1年チームのために、自分ができることは何かを考えて考えて取り組んできたことがここまでつながっていると思いますし、あとは勝ちたいという思いと、上手くなりたいという、サッカーを始めた頃の子供の頃と変わらない気持ちで、もちろんプロになって勝ち負けに大きな責任が伴いますけど、勝つためにやっていて、勝つときの喜びを知っているから、またそれを味わいたいと思いますし、若い選手に負けないようにとか、日々向上心を持って取り組んできたことが今ここにつながっていると思いますし、細かいことにこだわってきましたけど、矛盾していますけど、細かいことにこだわらないというところが大事なのかなと、僕の中では長くやってきて思っています」

 

−一緒にプレーした選手たちは大谷選手から学ぶものは多かったと思いますし、セレモニーの映像ではアカデミーの選手が大谷選手を超えるというメッセージがありました。大谷選手が後輩に期待することは?

「何かを教えたということは多分一度もないと思うんですけど、セレモニーの子供たちも僕みたいな選手を目指すのではなくて、僕を超えてほしい。僕は代表にも選ばれていないですし、今は多くの選手たちがレイソルから海外に羽ばたいて、代表に選出されたり、海外のトップリーグでプレーしている人たちがいるので、僕じゃなくて、そういう選手たちを目指してほしいと思いますね」

 

−生まれ育った地域のチームで現役を終えるというのは、Jリーグの中でもそんなにいないと思います。その点について。

「僕もJリーグが小学校4年生か5年生の時に始まって、それこそ井原さんとかを見て育って、近くに柏レイソルというチームがあると知って、ファン感も来ましたし、Jリーグに入って戦っている柏レイソルを見て、自分もそこで戦いたいと思ったクラブで、こうしてプロ生活を20年続けられて、現役を終えられるのは幸せなことです。僕は運良く、実家からも柏駅が今は3駅になりましたけど、当時は2駅で、そういう距離のところにプロチームがあるというのは本当に恵まれていたと思います。他の選手はアカデミーに来るまでに1時間、1時間半をかけて通っている選手も多い中で、電車に乗るのが10分という本当に恵まれた環境で育ったのは運が良かったと思いますし、その中で身近に見ていたチームで、今でも12歳の時に最初に試合用にともらったユニフォームを着たときの喜びは今でも覚えています。それを着続けられたのはありがたかったと思います」

 

−40年、50年とチームは続いていくと思いますが、柏レイソルにどういうことを期待していますか?

「プロスポーツなので勝ちにこだわるのは当たり前ですけど、レイソルは今日もたくさんの人が来てくれたように、ファン、サポーターの人に支えられてチームがありますし、そういう方々に愛されるチームであってほしいと思っています。どのような状況でもこのチームなら応援したいと思ってもらえるようなチームであってほしいと思っています」

 

−レイソルを離れたいと思ったことはありましたか?

「いや、ないですね。僕はここが、このチームが大好きで、このチームの、柏レイソルのために戦ってきたので、そういう考えを持ったことはないですし、チームに必要とされる限りはこのチームでプレーしようと、決めた訳ではないですけど、ずっとそう思っていました」

 

−キャプテンマークを誰かに託すとしたら?

「今年に限らず、去年から(古賀)太陽がゲームの中でキャプテンマークを巻く機会が多くて、今日の挨拶を聞いても、あの太陽が立派に成長したなと(笑)、親心じゃないですけど逞しく見えましたし、アカデミー出身の選手がそういう責任のある立場にいることで、今のアカデミーの選手の目標や励みにもなると思うので、僕が決めることではないですけど、太陽は今ネルシーニョ監督からの信頼の中で、太陽ができることを100%やってくれていますし、そういう後輩がチームにいることは僕にとってもものすごく嬉しいです。年齢的にもう少し20代後半や30代前半とか、その前後の選手が本来はいたと思うんですけど、なかなかタイミングもあって外に出ていったりしたので、今は太陽がそういう立場をしっかり役割を果たしてくれているので、太陽には気負うことなくこのまま頑張って、続けてほしいと思います」

 

−大谷選手は石崎監督からキャプテンを任されましたが、腕章を巻くことについて。

「腕が重くなります(笑)。それぐらい責任を感じますし、イシさんに『そろそろキャプテンやれや』とグアムで言われたのを今でもよく覚えています。あそこにイシさんがそういう判断をしてくれたことに本当に感謝していますし、立場が人を変えるじゃないですけど、与えられた立場によって、よりチームのことを考えるようになりましたし、どうすればチームがうまく回るのか、いろいろなことを考える、気づきを与えてくれたイシさんには感謝してもしきれないです。でも誰も巻けるわけではなく、チームのみんなから信頼されていたり、そういう選手がチームに数多くいれば、チームは本当に強くなると思うので、今は僕が出れば僕が巻いていたり、太陽が出れば太陽が巻いていますけど、他にもそれを付ける資質のある選手は数多くいるので、誰がというわけではなく、全員にそういうチームを背負う、チームの責任を自分が背負っているというような、気負う必要はないですけど、そういう思いを持って戦ってほしいと思います」

 

−引退発表のクラブのリリースや、インスタグラムを見せていただきました。「自分の基準や価値観で引退を判断した」とありました。具体的にどのような基準、価値観だったのでしょうか?

「まず、足首はボロボロなんですけど(笑)、体がボロボロになるまでサッカー選手を続けたいとは思っていなくて、その中で自分の引き際の考えとしては、まだやれるんじゃないかとチームメートや見てもらえる人に思ってもらえるうちに辞めたいと思っていました。ただ、それはあくまで僕の中の基準であって、総合的に判断すれば強化部や監督と話をしていく中で、僕の中ではボールを持てばまだプレーできると思っていますけど、ボランチというポジションで考えたら、攻守に役割を果たさなければいけないですし、現在サッカーはインテンシティも上がって、選手もアスリート化しています。攻撃はいいけど守備のところで、足首の状態がちょっと難しいと思う期間も今年は感じることも多かったですし、そういうところを話す中で決めたのも一つの要因でした」

 

−今後のサッカーの関わりへの抱負をお願いします。

「今、現役時代に取れるB級ライセンスまでは取っているので、じゃあ100%監督を目指したいとか、そこまでの思いに至っているわけではないですけど、ただ指導者は面白いなというのはライセンス講習を受けている中でも感じますし、若い選手たちが一気に伸びていくのを実際に目の当たりにして、そういうところの手助けができればいいと思っているので、まずは次のライセンスを早く取りに行きたいというのが自分の中では最優先として持っているという話をチームにはしました。来年は柏レイソルの方でまたお世話になるので、そういうところは自分としては、将来のビジョンとしてまずは指導者を目指したいと思います」

 

−引退を決意されたのはいつですか?

「実際に決断したのはここ1か月くらいです。ただ、今シーズン、考えることも時間としては多くありましたし、最終決断に至ったのはここ1か月です」

 

−きっかけはありましたか?

「チーム、監督と話をしていく中で、きっかけがあったわけではないですけど、僕の中ではやってもあと1年か2年だろうなというのもありましたし、それは全て足首の状態で左右される部分でもあると思っていたので、大きなきっかけがあるわけではないですね」

 

−一番印象に残っているのは2011年の優勝ということですが、逆に一番しんどかったことはありますか? また、皆さんからは将来は柏レイソルの監督をやってほしいという思いがあります。ビジョンの中に「柏レイソル監督・大谷秀和」という考えははっきりありますか?

「まず、辛かったのは…一番最初に降格したときは、どの降格も辛いんですけど一番最初にここでバレー選手にダブルハットトリックをされて、J2に降格が決まったときは本当に辛かったです。チームとしても本当に苦しくて、サポーターの人との関係性だったり、あまり良い時期ではなかったので、そこは本当に辛かったというのは覚えています。ただ、セレモニーでも話しましたけど、今回、工藤の件があって、人の命とサッカー人生の辛いのは比べ物にならないぐらい辛い出来事でした。一緒にやった選手が、サッカーに真摯に向き合っていた選手がなんであんなふうになったのか今でも信じられないですし、サッカーにおいての辛さで言えば降格が辛かったですけど、工藤の件が本当に…今も信じられない気持ちで、そこは辛すぎましたね。

二つ目の質問ですけど、自分が監督に向いているかどうかはわからないですし、ただ指導者として次のライセンス、A級だったり、S級を取りに行こうと思っている中で、そういう思いは芽生えてくるのかなと思いますけど、自分が向いているのかがわからないという(苦笑)。これは選手から監督になった人を見ている中で、世界で見ても選手として知名度があり、選手としてスターだった選手が監督としてうまくいくかといったら決してそういうことではなくて、サッカーを知っているのはもちろんのこと、結局は人と人の関係なので、そのマネジメントであったり、スタッフ、サポーターだったり、そういう人との付き合い方はまだまだ自分は学ばなければいけないことが多いので、そういう部分に自信が持てたら言えるかもしれないですけど、今は自分が向いているかわからないので、そこまで考えるのはできないです。ただ、そういうことを言ってもらえるのは非常に嬉しいですし、そうなれるように自分は日々指導者として日々勉強していかなければいけないと思います」

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ