Playback 2013 〜 工藤壮人がヤマザキナビスコカップ優勝を振り返る「チーム全体で気迫を見せて、全員で勝ち取った優勝だった」【特別インタビュー】
○工藤壮人
――2013年はリーグ、ACL、天皇杯、ヤマザキナビスコカップと、四つの大会を並行して戦っていたため、日程的にも相当タイトなシーズンになりました。選手としては厳しくはなかったのですか?
「僕の感覚的には、2011年から試合が立て続けに来るということに慣れていました。2011年はリーグで優勝して、その後にクラブワールドカップを戦い、12年と13年もACLがあったため試合数が多いシーズンでしたが、僕の中ではやりがいの方が大きく、常に緊張感のある試合を戦えていたのできつさは感じなかったですね」
――しかも工藤選手はケガもなく、ほとんどの試合に出場していました。
「ありがたいことに起用していただいたので、必死にそれに応えなければいけないという良い意味でのプレッシャーを感じていたことも、僕にとってはやりがいになっていました」
――連戦の影響もあってリーグ戦では成績が伸びず、10月のACLでは準決勝で広州恒大に敗れました。そういう流れもあって、ナビスコカップのタイトルに懸ける思いも強くなったのでしょうか?
「自然とそうなりましたね。毎年タイトルを獲っていましたし、選手たちにはナビスコカップのタイトルを獲るという使命感が自然に出てきました。だからこそ、チームがより一つになったという感覚はあります」
――当時は立て続けに優勝していたからこそ、「自分たちは優勝しなければいけないチームなんだ」という感覚ですか?
「それは間違いなくありました。2010年はJ2で優勝して自信が付き、J1でもやってやろうという思いの中で優勝して、そこからはタイトルを獲るべきチームなんだという自覚がありましたし、移籍してくる選手も『タイトルを獲りたい』と言ってレイソルに来ていました。チーム全体が、タイトルに懸ける思いやモチベーションでは強いものを持っていたと思います」
――工藤選手は、J2優勝時はU-21日本代表の遠征で不在、J1優勝時はスタメン出場しましたが途中交代で試合終了の瞬間はベンチ、天皇杯では決勝戦は出場停止でした。優勝の瞬間をピッチ上で迎えたいという思いもありましたか?
「結果的にチームが優勝することが一番大切なことですし、それがあってこそ選手が評価されます。それがベースにあるんですけど、天皇杯では出場停止で決勝戦には出られなかったというのもありますし、ナビスコカップの優勝を勝ち取って、なおかつ自分が最後までピッチに立っていたいという気持ちは強かったですね」
――しかも工藤選手にとっては、背番号9を受け継いだシーズンでした。
「サポーターの人や、キタジさん(北嶋秀朗)から認めてもらうためには、得点を取り続けなければいけないと思っていましたし、リーグ戦でも良い形で得点を重ねることができ、ナビスコカップでは決勝というこれ以上ない舞台が整いました。レイソルとしても優勝するかしないかでは大きな違いがありますし、僕自身もレイソルに何を残せるのかと自問自答していました。『ここでやらなければいけないぞ』と自分自身に言い聞かせて試合に入りました」
――決勝戦を迎えるにあたり、大谷秀和選手、橋本和選手が出場停止、鈴木大輔選手が直前の試合で負傷、キム チャンス選手が試合の週の練習中に骨折、山中亮輔選手が体調不良と、多くの主力選手を欠くというチーム状況でした。当時のチームの雰囲気はどうだったのですか?
「ここまで来たらやるしかないと思っていましたし、逆に出られない選手に替わって出場する選手たちがそれまで溜まっていたものを爆発させてくれたら優勝に近づくとは思っていました。もちろん試合に出られない選手の気持ちを背負って…という思いはありましたが、直前でも離脱者が出ましたし、どういうメンバーになるのか僕たちもわからない部分はありました」
――ケガで離脱していた増嶋竜也選手も決勝戦が復帰戦になり、ベンチスタートでした。最終ラインのメンバーがいない状況で、ボランチが本職の谷口博之選手が3バックの右で起用されたのは驚きました。
「そうですね。でも後ろの3枚の選手たち、ドゥーさん(近藤直也)をはじめ、グッチくん(谷口)、ナベくん(渡部博文)がすごく心強かったのは覚えています。グッチくんは今までやったことがないポジションでしたけど、ものすごく気迫を出していましたし、そんなグッチくんを支えていたドゥーさんの『なんとか(谷口を)勝たせてやりたい』という気持ちが感じられて、後ろの3枚の結束の強さは前線から見ていてすごく感じていました」
――工藤選手も自分のユニフォームの下に27番のキム チャンス選手のユニフォームを着ての出場でした。
「チャンスのケガは決勝戦直前の練習中でしたし、かなりの重傷でした。他の出場できなかった選手もそうですけど、チャンスは直前のケガで彼も決勝戦に出られなくなって相当悔しさがあったと思うんです。それまで頑張っていたのを見てきましたし、だからこそ少しでも報われてほしいなと感じたので、チャンスのユニフォームを着てプレーしました」
――公式前日練習の取材の場で、工藤選手は大勢のメディアの前で「僕が点をとって優勝させます」と明言しました。あえて自分にプレッシャーをかける発言でしたが?
「自分の中でも点を取って勝たせたいとは思っていましたが、今思えば自分がそう口にしたということは、自分の中の自信や、ケガをして出られない選手への思いを背負って自分がやらなければいけないという気持ちが、そういう言葉になったんだと思います。結果的に、そう言っておいた良かったです(笑)」
――試合前日のメディアの醸し出す雰囲気は“浦和圧倒的有利”でした。その雰囲気は選手も感じていましたか?
「感じますよ(苦笑)。客観的に見れば、クラブ規模で浦和と柏だったら浦和が勝ちそうだと思う人は多いでしょうし、メンバー的にもベストメンバーの浦和に対し柏は主力選手が出られない状況でした。僕自身もメディアの人たちからそういう声を聞きましたし、その雰囲気は感じていました。でもそれが僕たちの気持ちを奮い立たせたひとつの要素でしたね」
――主力選手が多数出場できなかったということで、試合前にネルシーニョ監督から何か特別な話はありましたか?
「いえ、いつもどおりでした。ネルシーニョ監督からは出られない選手のためにとか、ケガ人のためにという話はなく、もちろんこの試合に勝つか負けるかで天国か地獄だという雰囲気は監督も出していましたけど、ただ選手の気持ちを必要以上に掻き立てるよりも、いつもどおりに自分たちがやるべきことを遂行していこうということで、難しい時間帯が長くなるだろうがチャンスは必ず来るから、そこを仕留めるために我慢するところは我慢しようという形で送り出されたのを覚えています」
――天皇杯決勝のピッチに立てなかった工藤選手にとっては、国立の決勝戦のピッチは特別な高揚感があったのではないですか?
「やっぱり違いますよね。今思い出しても、あの感覚は自分の中にしっかりと刻み込まれていますし、あの超満員の国立でコレオグラフィーを見たのは鮮明に覚えています。7割方は浦和サポーターでしたが、なんとかして柏サポーターに喜びを与えたいと思っていました」
――試合が始まってからは、ほとんど浦和にボールを握られる苦しい時間が続きました。
「チームのプレースタイル的にも浦和はボールを持って試合を進めていくスタイルですし、僕たちとしてはプランどおりだったのでボールを持たれても焦りはなかったです。失点をしない時間帯を長くできれば勝機はあると思っていました」
――先ほど工藤選手も言っていましたが、3バックをはじめ、守備陣のどっしり感が際立っていたように思います。
「あの時の3バックは急造だったんですけど、なぜかやられる気がしなかったんですよね。だから1点を取れればいけるんじゃないかというのは感じていました」
――そして前半終了間際、藤田優人選手のクロスから工藤選手が先制点を奪うわけですが、あの得点は事前のスカウンティングどおりだったと聞いたことがあります。
「浦和の両WBの隙間が空いてくるというか、クロスのときに真ん中の3枚が締める分、WBが絞り遅れるというのは事前に言われていました。あんなに綺麗に仕留められるとは思いませんでしたが、結果的にはスカウティングどおりでした」
――あの高速クロスを上げた藤田選手は、試合途中の接触プレーですでに膝を負傷しており、あの弾道のボールしか蹴ることができなかったと後に話していました。
「あの弾道とスピード、あの蹴り方だったからこそ生まれた得点だったと思います。もし巻いたキックでクロスを入れていたら、違った結果になっていたかもしれないですね。僕たちも、優人くんは前半もプレーを続行していましたから、まさかあれほどまでのケガとは思っていなくて。後から重傷だったと聞いて驚いていました。あのケガで、よくあのクロスを入れたと思いますし、それは優人くんの気持ちの強さがあったからこそできたのかなと思いますね」
――藤田選手がケガで前半だけで交代となり、右のWBには太田徹郎選手が入りました。太田選手と槙野智章選手とのマッチアップではサイドを使われて、後半はより難しい展開になりました。
「徹郎のキャラもあって今となっては笑い話にできますし(笑)、チームとして結果が出たから良かったですが、ただあの痺れる試合展開の中で途中から入ってくる難しさはあったと思います。そういうのを含めて印象深い決勝戦になったと思います(笑)。前半の終了間際に点を取って、後半の浦和が前に出てくるのはわかっていましたし、あの1点を守り切るというよりは、監督はどうやって2点目を取りにいくかと言っていました。受け身になったら確実にやられるので、なんとかして相手を引き出して2点目を取りにいこうとは選手みんなの共通の意識にありました。結果的に2点目は奪えませんでしたが、僕にも決定機がありましたし、チームとしてチャンスを作れていたのは浦和も怖さを感じていたと思います」
――押し込まれて苦しい試合展開でしたが、カウンターから3、4回決定機を作り出せていました。
「もともと監督自身が勝っている状況でも受け身にならないというか、もちろん残りの数分では逃げ切るという形も取りますけど、しっかりしたオーガナイズのもと、自分たちも奪ってからは出ていくというプランでした。ただ、ラスト10分ぐらいから浦和も攻勢を強めてきたので、苦し紛れのクリアも増えてきましたし、個人的には最後の数分はカウンターで点を取ってという考えよりは、なんとかこの1点を守りきろうという感じでしたね」
――終盤、興梠慎三選手の得点がオフサイドになりました。決められたとき、ノーゴールと判定されたときは、どんな思いだったのですか?
「最後の方はあれだけ猛攻を受けていましたから、同点に追いつかれたら多分ひっくり返されていたと思うんです。僕の位置からはオフサイドかどうかわかりませんでしたから、サッカー選手をやっている以上、最後の1分1秒まで諦めてはいけないんですが、あの状況で追いつかれて『これは厳しいかな』と感じたのが本音です。あの雰囲気の中で、主審の扇谷さんはよくオフサイドを見ていたと思いましたね。リフレクションだったので、柏の選手に当たっていたと判断されても不思議はなかったですし、今のようにVARがあったわけでもないのに、あの状況で副審と協議をしてオフサイドの判定にしたのは凄いですし、僕たちからしてみたら『ありがとうございました」という感じでした(笑)。審判団は誤審ばかりが取り上げられてしまいますが、あの試合のジャッジに限らず本当に素晴らしいレフェリングもたくさんあるので、メディアの皆さんにはぜひそちらの方も取り上げていただきたいと思います」
――優勝のホイッスルを聞いた感覚は?
「力が一瞬抜けたというか、自分自身にもいろいろな思いや気持ちをぶつけた1週間だったので、喜びやホッとした気持ちとか、あの瞬間はいろいろな気持ちが入り乱れていました」
――直後、テレビカメラが工藤選手のもとに駆け寄り、ユニフォームを脱いで下に着ていたキム チャンス選手の27番を見せるという、男前なシーンがありました。
「最初は自分のユニフォームを脱ぐつもりはなかったですし、下に着たのもチャンスのためにという思いからでしたけど、チャンスはスタンドにいなくて病院だったので、カメラが来て、チャンスはテレビで試合を見ているだろうから優勝を伝えようと思って、脱いでしまいました」
――さらに工藤選手はMVPを獲得しました。
「素直に嬉しいですけど、本当に自分以外の後ろの選手たちが身体を張って、チーム全体で気迫を見せて戦ったので、謙遜ではなくチーム全員で勝ち取った優勝でしたよね。MVPよりも、あのチームの中に自分がいて、浦和に勝って優勝できたことが嬉しかったです」
――改めて2013年の柏は、どのようなチームでしたか?
「タイトルを継続して獲ることができたのもあって、このチームでプレーしたい、レイソルでタイトルを獲りたいという選手が集まってきていましたし、レイソルに来てネルシーニョ監督の下でやるからには、チームが勝つために自分が何をしなければいけないのかを理解して、自分のやりたいことをやるという選手はいなかったです。勝つためにこのプレーをしなければいけないというのであれば、まず選手はそれを一番に考えていました」
――1月4日、柏はYBCルヴァンカップ決勝に臨みます。今のチームには優勝経験を持つ選手が少ないですが、優勝がもたらすものの大きさやチームへの影響を、工藤選手はどのように考えていますか?
「優勝は選手にもたらす自信、選手のその後のキャリアにももたらすものは大きいです。そこを考えると優勝することで、またひとつ上のステップに行けるでしょうし、僕も今年はDAZNでレイソルの試合を気にして見ていましたが、レイソルには続けて優勝をしていくチームになってほしいですし、また、そうならなければいけないチームだと思います。1月4日の決勝戦、楽しみにしています」
(取材・構成 鈴木潤)