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「独白」 牟田雄祐、3年間の真実【いわてグルージャ盛岡】

この記事のタイトルを考えるにあたって、「むた」と入力したところ、予測変換に出現したのは「牟田山脈」の文字。サポーターの多くはご存じのとおり、「一人牟田山脈」はJ3時代、すべてのボールを一人で跳ね返すその突出した能力から生まれた牟田雄祐の代名詞だが、この文字を見ただけでも牟田がヘッドやブロックで相手の攻撃をしのぐシーン、あるいはCKから豪快なヘディングを見舞うシーンが鮮明に脳裏を駆け巡る。

キャプテンの存在感、そして貢献度の高さを改めて思い知らされるが、牟田は今オフに契約満了となり、来季、岩手の選手としてピッチに立つことはない。

 

 

発端は「逆取材、いいっすか?」

先日、牟田の惜別コラムをアップした。にもかかわらず、なぜこの記事を掲載したか。事の発端は106日。ホーム最終戦となる東京V戦を控えたトレーニングでの取材時のことだ。

「髙橋さん、ちょっと逆取材いいっすか?」

声の主は牟田だった。

チームの状況をどうみているか。外からの率直な意見を伝えた。

話を終えると、

「また、ゆっくり話しましょ」

と言葉を交わし、その約束が実現したのが114日。

いわてグルージャ盛岡ユースとのトレーニングマッチの日だった。

 

 

岩手で得たキャリア初の感覚

940分。合流後、スタンドの端に移動。インタビューに際し、その趣旨を改めて問うたが、そのアンサーは、らしさ全開の言葉だった。

J3への降格決定、契約満了のリリース、さらにポールと登生の不祥事のニュースもあったし、サポーターをネガティブな気持ちにさせていると思うんです。だから、この取材はネガティブなものではなく、自分が3年間どういう思いでプレーしてきたか、支えてくれたみなさんにどういう思いを持っているか。そういった部分を記事にしてほしいと思っているんです」

牟田自身、「満了という評価には自分の中で感じるもの、出てくる感情もあった」と話し、うまくいかなかったことへの葛藤、内容、結果に対する不甲斐なさも多分にある中、それでも何より優先するのはサポーターの心情を思い遣ること。牟田という男の本質がここにある。

 

「いろいろな感情はありましたけど、満了のリリースが出てから多くの方にメッセージをいただきました。そのほとんどが『きてくれてありがとう』というものだったし、サポーターのお子さんが僕のプレーを目標にしてくれているという声もすごく多いので、僕自身来てよかった、誇れる3年間だったなと思っています。

それから家族にもやさしく、あたたかく接してもらいましたし、『ありがとう』と伝えられてうれしそうにしている家族を見ると幸せだなと思います。選手としての価値みたいなものを感じました」

 

名古屋、京都などに所属しプレーしてきた牟田だが、岩手での時間の中で、サッカー選手になって初めてに近い喜びを感じたと明かす。

 

「個人としての野心はもちろんあります。うまくなりたい、お金を稼ぎたい、上に上がりたい、モテたい。ただ、それ以上に自分のプレーがいろいろな人の心を動かして、僕のプレーから何かを感じ取ってもらえたこと、それを生の声で皆さんが伝えてくれたことで、その実感が心にダイレクトに響いて。こういう思いってこれまで感じたことがないというか。本当にいい3年間だったし、もっともっとがんばりたいと思えるようになりました」

 

サッカー選手として成功すること。牟田がいうようにそれは例えば年俸であるし、周囲の評価であるし、結果であるし、それに付随していろいろな栄誉や名声がついてくる。でも、本来、牟田自身が目指していた姿は観ている人の心を動かし、何かを感じ取ってもらえるプレーヤー。その意味では本当の喜びを得られる時間、関係性であったのはほかでもない岩手での3年間だった。

 

 

過去の遺物にしない。大事なのはバトンをつなぐこと

初めて感じた喜び。その言葉を聞いていて真っ先によぎったのは2021シーズンの天皇杯3回戦・清水エスパルス戦後の牟田の言葉だった。試合は惜しくも敗れたものの、「負けましたけど、観てくれた方に何か感じ取ってもらえるような試合はできたかなと思います」とコメントを残していた。

 

「初めていわぎんスタジアムでプレーした時は『本当に(観客が)少ないな』という印象でしたけど、そこからどういう風に持っていけるのかという楽しみも同時にありました。2021年の天皇杯ではJ1の清水が岩手に来てくれて、協会や関係者、照明をつけてくださったNOVAや岩手県、盛岡市など本当に多くの協力のもとで行われましたし、盛り上がっていく様子も実感できていたのでその面でもいい3年間だったと思います。ただ、これを『あのときはよかったね』で終わらないようにしなきゃいけない。自分は来季ここでプレーできません。このバトンを今いる選手たちが受け継いでいくこと、繋いでいくことが大事だと思います」

 

 

母親のように見守ってくれる岩手のサポーター

J1J2のクラブでプレーしてきた牟田の眼から見た岩手のサポーターの印象についても聞いた。

 

「やさしいし、あたたかい。サッカーを純粋にエンターテインメントとして観てくれているというイメージですね。負けてもブーイングはしないし、しっかりと戦う姿勢をみせれば拍手で迎えてくれる。力強いです。ただ一方で、負けて拍手で迎えてもらうのは選手としては自分の不甲斐なさを痛感する場面でもありました。

特に印象深いのは2021シーズンのラスト5試合くらい。ホームでの雰囲気っていうのはすごく独特で、力強く後押しというよりは包んでくれる、みたいな。お母さんみたいな(笑)。すごく安心して戦えました。

個人的にはいろいろな応援のスタンスがあっていいと思います。ブーイングしたい人はすればいいし、どんなときも応援したい人は応援すればいい。どっちが正しいっていうのはないので、自分の感情をごまかさないようにするっていうのが大事なのかなと思います」

 

 

数々の転機となった岩手でのキャリア

初の東北、J3チームへの移籍、主力としてのコンスタントな出場、初めて得た感覚。さらにプライベートでは第一子となる愛息が誕生するなど、キャリアの中でも、人生の中でも大きな転機を迎えた。

 

「ここにくるまで殻を破れていない自分を感じていました。取り組んでいるし、やれる自信はある。でも試合に出て自分のすべてを出し切れたかというとそうではない。選手として将来性もわからなかったし、もやもやしていた部分はありました。その分、覚悟を持って岩手に来ました。初めての東北、J3、環境も大きく違う中で妻と2人がんばろうという感じでした」

 

加入したのは2020シーズン。しかし、怪我で出遅れると、チームも秋田豊新体制になって5試合未勝利と苦しんだ。

 

「副キャプテンでしたけど、怪我をしている中、チームも勝てなくて。期待も感じていたし、『もうやるしかない。自分が出てダメだったらもう(ヤバい)』という状況だったので、あの1試合(復帰した第6節・相模原戦)に賭けていました。システムも変えて、その試合で勝てたことが一つ殻を破るきっかけになったのかもしれません」

 

 

サッカーがもっと好きになった。やれるところまでやり切りたい

初めて感じた喜びと岩手での3年間は牟田の価値観、将来図に大きな変化を与えたという。

 

「カズさん(三浦知良選手)ではないですけど、本当にできるところまでやってやろうという気持ちですし、岩手でプレーしてもっともっとサッカーが好きになって、サッカーが楽しくなりました。前は『そんなに長くやらなくてもいいかな』『ほかにもやりたいことあるし』という気持ちでしたけど、全然今は体の状態も悪くないですし、シーズンの最後に怪我をしましたけど、年齢的な怪我ではないのでやれる限りはという思いが大きくなりました。

学生のうちはプロになるためにサッカーをしていたわけではなくて、好きだからしていました。ただ、プロになると好きだけではなくて重圧や責任の大きさがついて回ります。でも、岩手に来て、それを背負う楽しさを感じることができました。キャプテンを務めたことも含め、いろいろなことを学んで成長できました。本気でやるからこそ楽しいし、でも逆に本気でやるからこそ失敗も心に残りますけど、本気でやらないと残るものがないなといま思います。ここにきてからも本気でやったから昇格を果たせたし、本気でJ2で戦ったからこそ学ぶものも大きかったです」

 

揚げ足を取るわけではないが、牟田自身もこれまで学生時代、プロ入り後、どの瞬間も本気だったとは思う。そこまでの本気と岩手に来てからの本気、その差は何なのだろうか。この先、いまいる選手がバトンを引き継ぐにあたって、すごく重要なポイントになる。そう感じて質問をぶつけた。

 

「若いころは周りのことなんて考えてないですからね(笑)。とりあえず自分がミスしないように。トゥーさん(マルクス闘莉王)に怒られないようにっていう一心だったから(笑)。だからこそサッカーが楽しくなかったし、自分の中で勝手にそれを大きくして足が固まってミスをして。ミスをするべくしてミスしていた。期待もすごく感じていてデビュー戦が開幕戦で全然覚えていないし。それから環境を変えて、自分自身変わるかなと思っていたら、全然変わらない。結局、本気で自分が変わろうと思わないと変わらない。その狭間にいたのが岩手に加入してから開幕までの時期でした。キャンプは経験したことないくらいの練習量で、めちゃくちゃ走るし、でもきついって言っても練習量が少なくなるわけじゃないし。やっぱり変われるのは自分だけなんですよね。その辺から自分がどうするのかっていう部分にシフトしました。だから僕にとってはあの練習量が変われるきっかけ、壁を乗り越えるきっかけになったと思っています」

 

 

感動は波及する。サッカーの本質を感じられるチームに。

いわてグルージャ盛岡は、運営の移行を皮切りに、J2昇格、J3降格、オーナーおよび体制の変更と激動の3年間となっている。いろいろな過渡期にあるクラブでもあるが、牟田はこれからのクラブ、そして来季も残る選手たちにどのようなことを期待しているのだろうか。

 

「自分たちのプレーは観ている人の次、あるいはさらにその次まで響いている。観に来ている人のお子さん、お子さんの友達。観てくれている人の同僚、あるいは家族。観に来てくれる人のもっと奥まで感じてもらえているから、プロである以上、そういう自覚を持ってほしい。そういうことが可能な職業だから、自分のためはもちろんですけど、周りの人の喜びや幸せが自分の幸せと感じることができるようになればもっともっと感じるところはあると思う。サッカー選手としての意義も変わってくると思います。若いうちは自分のプレーに必死だと思うけど、もっとサッカーの本質を感じられる選手、チームになっていけばさらに多くの人に観てもらえるようになるんじゃないかなと思います。

最近はネガティブな話題を提供してしまった部分もあります。自分が捕まるかどうかもそうだし、何か行動をする時の判断材料に“個人としての自分”ではなくて、“子どもたちが憧れるサッカー選手としての自分”という意識があれば行動は変わってきます。そういった面では自分がピッチ内外でこうしよう(グルージャの選手として人を傷つけるのは絶対にやめよう、など)と言っていたのが叶わなかったっていうのは、自分の発言に力がなかったのかな、心に届いていなかったのかなと思います。自分自身、情けないし同じ仲間としてさみしい気持ちはありますね」

 

サッカー選手であることの喜びを感じた素晴らしい3年間

最後にサポーターを始め、応援してくれた方、支えてくれた方へメッセージをもらった。

 

「自分自身、何を残せたかはわかりません。でもこれからも僕みたいな選手がいたということを思い出してもらえたらうれしいし、多くを学べた時間でもありました。人生でこういう瞬間はありますし、僕自身、岩手に来る前は京都で満了になってここにきて、それでもこれだけ素晴らしい3年間が待っていました。気持ちも全然ネガティブではないし、次の地でどういう出会いや経験が待っているのかなっていう気持ちでいっぱいです。

本気になって自分が変われば物事は変わっていくということ。そして、プレーヤーとしての本質的な喜び。この2つは本当に大きな学びになりました。

人生は自分次第でなんとでもなる。本気でやろうとすれば変われる。年齢なんて関係ないし、『オレなんて…』って蔑めば一瞬(で終わり)だし。自分で人生をつくっていけるような人になりたいし、少しはそういうところをみせられたんじゃないかなと思っています。

自分はサッカー選手なんだ。それを感じられた3年間でした。ありがとうございました」

 

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